2018
4
Sep

日本富士山

童話『カチカチ山』のおもしろエピソード!!

こんにちは!

 

フォトページでご紹介したカチカチ山

このページではそんなカチカチ山のお話をご紹介します!

 

カチカチ山(富士山パノラマロープウェイ)

ウィキペディアより

昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。

老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌(はやしうた)を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまっていた。業を煮やした翁(おきな)はやっとのことで罠でタヌキを捕まえる。

翁は、媼(おうな)に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って媼を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま媼を杵で撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁(ばばぁ汁)」を作る。そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。翁は追いかけたがタヌキに逃げられてしまった。

翁は近くの山に住む仲良しのウサギに相談する。「仇をとりたいが、自分には、かないそうもない」と。事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かけた。

まず、ウサギは金儲けを口実にタヌキを柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った柴に火打ち石で火を付ける。火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答え、結果、タヌキは背中にやけどを負うこととなった。

後日、ウサギはタヌキに良く効く薬だと称してトウガラシ入りの味噌を渡す。これを塗ったタヌキはさらなる痛みに散々苦しむこととなった。

タヌキのやけどが治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。ウサギは木の船と一回り大きな泥の船を用意し、思っていた通り欲張りなタヌキが「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選ぶと、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと、泥の船は溶けて沈んでゆく。タヌキはウサギに助けを求めるが、逆にウサギに艪で沈められてしまう。タヌキは溺れて死に、こうしてウサギは見事媼の仇を討った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/かちかち山

 

 

福娘童話集より

むかしむかし、おじいさんの家の裏山に、一匹のタヌキが住んでいました。タヌキは悪いタヌキで、おじいさんが畑で働いていますと、

「やーい、ヨボヨボじじい。ヨボヨボじじい」
と、悪口を言って、夜になるとおじいさんの畑からイモを盗んでいくのです。
おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。

そしてタヌキを家の天井につるすと、

「ばあさんや、こいつは性悪ダヌキだから、決してなわをほどいてはいけないよ」
と、言って、 そのまま畑仕事に出かけたのです。

おじいさんがいなくなると、タヌキは人の良いおばあさんに言いました。

「おばあさん、わたしは反省しています。もう悪い事はしません。つぐないに、おばあさんの肩をもんであげましょう」

「そんな事を言って、逃げるつもりなんだろう?」

「いえいえ。では、タヌキ秘伝(ひでん)のまんじゅうを作ってあげましょう」

「秘伝のまんじゅう?」

「はい。とってもおいしいですし、一口食べれば十年は長生き出来るのです。きっと、おじいさんが喜びますよ。もちろん作りおわったら、また天井につるしてもかまいません」

「そうかい。おじいさんが長生き出来るのかい」

おばあさんはタヌキに言われるまま、しばっていたなわをほどいてしまいました。

そのとたん、タヌキはおばあさんにおそいかかって、そばにあった棒(ぼう)でおばあさんを殴り殺したのです。

「ははーん、バカなババアめ。タヌキを信じるなんて」

タヌキはそう言って、裏山に逃げて行きました。

しばらくして帰ってきたおじいさんは、倒れているおばあさんを見てビックリ。

「ばあさん! ばあさん! ・・・ああっ、なんて事だ」

おじいさんがオイオイと泣いていますと、心やさしいウサギがやって来ました。

「おじいさん、どうしたのです?」

「タヌキが、タヌキのやつが、ばあさんをこんなにして、逃げてしまったんだ」

「ああ、あの悪いタヌキですね。おじいさん、わたしがおばあさんのかたきをとってあげます」

ウサギはタヌキをやっつける方法を考えると、タヌキをしばかりに誘いました。

「タヌキくん。山へしばかりに行かないかい?」

「それはいいな。よし、行こう」

さて、そのしばかりの帰り道、ウサギは火打ち石で『カチカチ』と、タヌキの背負っているしばに火を付けました。

「おや? ウサギさん、今の『カチカチ』と言う音はなんだい?」

「ああ、この山はカチカチ山さ。だからカチカチというのさ」

「ふーん」

しばらくすると、タヌキの背負っているしばが、『ボウボウ』と燃え始めました。

「おや? ウサギさん、この『ボウボウ』と言う音はなんだい?」

「ああ、この山はボウボウ山さ、だからボウボウというのさ」

「ふーん」

そのうちに、タヌキの背負ったしばは大きく燃え出しました。

「なんだか、あついな。・・・あつい、あつい、助けてくれー!」

タヌキは背中に、大やけどをおいました。

次の日、ウサギはとうがらしをねって作った塗り薬を持って、タヌキの所へ行きました。

「タヌキくん、やけどの薬を持ってきたよ」

「薬とはありがたい。まったく、カチカチ山はひどい山だな。さあウサギさん、背中が痛くてたまらないんだ。はやくぬっておくれ」

「いいよ。背中を出してくれ」

ウサギはタヌキの背中のやけどに、とうがらしの塗り薬をぬりました。

「うわーっ! 痛い、痛い! この薬はとっても痛いよー!」

「がまんしなよ。よく効く薬は、痛いもんだ」

そう言ってウサギは、もっとぬりつけました。

「うぎゃーーーーっ!」

タヌキは痛さのあまり、気絶してしまいました。

さて、数日するとタヌキの背中が治ったので、ウサギはタヌキを釣りに誘いました。

「タヌキくん。舟をつくったから、海へ釣りに行こう」

「それはいいな。よし、行こう」

海に行きますと、二せきの舟がありました。

「タヌキくん、きみは茶色いから、こっちの舟だよ」

そう言ってウサギは、木でつくった舟に乗りました。

そしてタヌキは、泥でつくった茶色い舟に乗りました。

二せきの船は、どんどんと沖へ行きました。

「タヌキくん、どうだい? その舟の乗り心地は?」

「うん、いいよ。ウサギさん、舟をつくってくれてありがとう。・・・あれ、なんだか水がしみこんできたぞ」

泥で出来た舟が、だんだん水に溶けてきたのです。

「うわーっ、助けてくれ! 船が溶けていくよー!」

大あわてのタヌキに、ウサギが言いました。

「ざまあみろ、おばあさんを殺したバツだ」

やがてタヌキの泥舟は全部溶けてしまい、タヌキはそのまま海の底に沈んでしまいました。

http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/04/01.htm

 

 

はい。

 

ほとんど引用です。ごめんなさい。笑

 

 

 

この2つの文章を少し比べていきたいと思います。

 

1つ目のウィキペディアより引用したものが原版と考えられているもの。

対して2つ目は子供向けに若干の編集がなされたものです。

 

 

原版は、狸が嫗(おばあさん)を殺し、「婆汁」を翁(おじいさん)に飲ませるという、

有名ではありますが冷静に読むと中々グロテスクな内容です(笑)

 

 

そして子供向けの童話では、このシーンはカットされています。

まあ、当然といえば当然でしょうか。。笑

 

 

今回取り上げた作品では

タヌキはおばあさんを殺しています(しかも撲殺)が、

 

物によってはこのシーンも殺害ではなく

引っかいた」とか「怪我を負わせた」というように、

かなりオブラートに包まれているそうですよ。

 

 

このご時世、こういったところは厳しいですからね〜

 

 

 

その後の翁の対応も若干違いますね。

 

原版は、

翁が「狸を追いかけ、兎に相談する」という自発的な行動が見られるのに対し

 

子供向けでは、

オイオイと泣いている」おじいさんのもとに「心優しい」ウサギが来てくれる

という描写になっています。

 

 

ここは僕の考察になりますが、

 

原版は「男尊女卑」の考え方が残る時代のものであり、

男は強いもの」として描かれているのではないでしょうか。

 

また、

 

人間の翁から動物の兎に相談を持ちかけることで

あくまで世の中の主体は人間である

という考え方(人間中心主義とでもいいましょうか)も見えるように感じます。

 

 

対して子供向けの

 

童話あるある(だと僕は思っている(笑))

おじいさんが泣いているところに動物が来てくれる

という描写は、

 

動物への愛着が湧くような描写」と言えると考えています。

 

 

モラルや対人感情の構築に重要な時期にこうした作品に多く触れることは

のちの成長に影響してくるのではないでしょうか。

 

 

さらに子供向けの場合、

特にタヌキがおばあさんを殺さなかった場合、

 

ウサギの仕打ちはある意味タヌキに対して酷なものだと言えるでしょう。

 

その際の「タヌキへの同情、哀れみ」が

共感」や「慈悲深さ」といった感情を育むことに繋がるとも考えられますね!

 

 

 

こう色々考えると、、

「教育も大変だな〜」

としみじみ感じてしまいますね!笑

 

 

まあ僕としては、当然原版の方が面白いと感じますが!!笑

 

 

 

 

さらにここで、もう1つの『カチカチ山』である

 

太宰治の『御伽草子』に収録されている

『カチカチ山』の紹介もしようと思います。

 

この作品をざっと読んで、

太宰治の作品の捉え方や発想力に改めて感嘆しましたし、

 

何よりこの『カチカチ山』の物語がより面白く感じられるようになりましたので!!

 

 

 

あらすじとしては、

 

太宰が『カチカチ山』への自身の解釈を物語調に書いていくというかんじ。

 

 

その中で太宰は

 

兎のかなりねちっこくいやらしい復讐劇を

武士道とか正々堂々とかの観念を既に教育せられてゐる者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思はれはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたといふわけである。

と表現し、同時に、

 

安心し給へ。私もそれに就いて、考へた。さうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だといふ事がわかつた。この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。

と言っています。

 

 

つまり、

 

兎を「十代そこそこの清らかな乙女」と表現したのです!

 

 

しかもその後に、

さうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。

と言っています。

 

清らかな乙女の純粋さほど残酷なものはない

 

ということですね!笑

 

 

この辺りの表現の仕方は、

 

本当に「さすがっ!!!」という他ないですね〜〜

 

 

また、

 

この処女の潔癖すぎる潔癖症の例えを

ギリシア神話のアルテミスを例にして説明しているところも、

 

神話好きの僕としては非常に面白いところですね!!

 

自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、颯つと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。

アルテミスとアクタイオンの物語ですね!

 

 

そんな乙女な兎に対して、狸はというと

けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。さうして、その結果は、たいていきまつてゐるのである。

疑ふものは、この気の毒な狸を見るがよい。狸は、そのやうなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せてゐたのだ。

と書かれているように、

 

清らかな乙女を恋い慕う愚かな男

 

という表現をされています。笑

 

しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であつたといふに於いては、その悲惨のなり行きは推するに余りがある。

とまでの言われようです。。

 

 

兎に芝刈りに誘われた狸の様子なんて

狸の働き振りを見るに、一心不乱どころか、ほとんど半狂乱に近いあさましい有様である。

と表現されています。

 

読みながら一人でにやけてしまいましたよ!笑笑

 

 

 

カチカチと狸が背負う草に火をつけるシーンもなかなかシュールですし、

 

火傷を負った狸に唐辛子軟膏を塗るシーンでは、兎は商人のふりをして狸に近づきます。

 

「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違ひありませんが、私は男の薬売りです。ええ、もう三十何年間、この辺をかうして売り歩いてゐます。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、さうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよさう。糞面白くもない。しつつこいぢやないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその薬を少しゆづつてくれないか。実はちよつと悩みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほつて置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいつそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだつていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、――」
「何を言つていらつしやるんです。生死の境ぢやありませんか。やあ、背中が一ばんひどいですね。いつたい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になつてねえ、おどろきましたよ。」
兎は思はず、くすくす笑つてしまつた。狸は、兎がなぜ笑つたのかわからなかつたが、とにかく自分も一緒に、あははと笑ひ、

 

なかなかに邪悪な兎と、愚かすぎる狸ですね。。

 

 

 

火傷と想像を絶する痛みから持ち前のしぶとさで生還した狸が

再び兎を訪ねた際などは

 

「あら!」と兎は言ひ、ひどく露骨にいやな顔をした。なあんだ、あなたなの? といふ気持、いや、それよりもひどい。なんだつてまたやつて来たの、図々しいぢやないの、といふ気持、いや、それよりもなほひどい。ああ、たまらない! 厄病神が来た! といふ気持、いや、それよりも、もつとひどい。きたない! くさい! 死んぢまへ! といふやうな極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えてゐる

兎が、あら! と言ひ、さうして、いやな顔をしても、狸には一向に気がつかない。狸には、その、あら! といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから発せられた処女の無邪気な声の如くに思はれ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めてゐるのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」とお見舞ひも何も言はれぬくせに、こちらから御礼を述べ、

とあります。

 

もう辛辣すぎます。。

 

 

そして、、

兎はもうさつきから、早く帰つてもらひたくてたまらなかつた。いやでいやで、死にさうな気持。何とかしてこの自分の庵の附近から去つてもらひたくて、またもや悪魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりやおいしい鮒がうようよゐる事をご存じ?」

と、ラストシーンへとつながっていきます!

 

 

「ひやあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる而して甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の真実だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。このお弁当箱には鼬のふんでまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飲んぢやつた。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねええにし艫綱ともづな、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちのすぢが固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。

 

、、、もはや悪女です。。笑

 

 

 

こうして物語が終わりを迎え、太宰はこう締めくくっています。

ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。十六歳の美しい処女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或いはまた、気にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ礼儀作法の教科書でもあらうか。
或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。
いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
曰く、惚れたが悪いか。
古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。おそらくは、また、君に於いても。後略。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html

(青空文庫 太宰治 『お伽草子』 より引用)

 

 

 

彼はこの物語を通じて

 

ある種の風刺、ないしは世の教訓を表現したのでしょう。

 

 

色恋沙汰に目が眩んでいるようでは、破滅をもたらすだけだ

 

そんなメッセージを感じますね!

 

 

 

 

さてさて、

 

ここまで3つの『カチカチ山』をご紹介しましたが

いかがでしたでしょうか??

 

 

このような

 

観光地と文学の関係

 

観光地と歴史の関係

 

というものをみていくと、

 

より一層その地に愛着が湧きますし

 

訪問の際によりより一層楽しめるのではなかろうかと思います!!!

 

 

 

ぜひみなさんも、

 

ご自身でその地について少し調べてから訪問してみてくださいね!!

 

 

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