今回のブックレビューで取り上げるのは、ロルフ・ドベリ著『Think Clearlyになります!

数ヶ月前に本屋さんへ足を運んだ方は、表紙ぐらいは目にしているかもしれない世界的ヒット本。

僕は基本、本はチラッと立ち読みをして買うか買わないかを決めるのですが、この『Think Clearly』は一つの見出しを立ち読んだだけで「買いだ。」と即決した本になります。

そんな『Think Clearly』を読んでの感想や書評、印象的なフレーズ、学びなどを、今回のブログではご紹介していきます!!

 

〜もくじ〜

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『Think Clearly』の作品概要

題名

Think Clearly(シンク・クリアリー)
The Art of the Good Life 52 Surprising Shortcuts to Happiness

著者

Rolf Dobelli(ロルフ・ドベリ)

出版

サンマーク出版

 

 

 

『Think Clearly』を読んで

評価・感想

学び
この本でどれほどのことが学べるか。「量より質」に基づいて判断。

読みやすさ
言い回しや表現の仕方などが簡潔かどうか、まわりくどくないかなど、文字通りの読みやすさを判断。

活かしやすさ
生活や仕事、生きていく上で日頃の自分に活かしやすいか。

おもしろさ
「本・書籍」として楽しめるかどうか。「ページをめくるのが止まらない!」みたいな。笑

ワクワク
この本を読むことで日々生きることに対して活力がみなぎるか。モチベーションが上がるか。ようは“心が踊るか”どうか!

また読みたいか
文字通り、何度でも読み返したいと思えるか。

『Think Clearly』を読み終えて最初に抱いた印象は、「より現実的・実用的な学びや気づきが多かった」ということです。

『Think Clearly』は、自己啓発本によくある(と個人的には思っている)「人の可能性は無限大!君も大丈夫!できるさ!!」みたいな、モチベーションを上げていく本ではなく、坦々と事実を述べていくかんじです。

それ故にかなりドライで冷たい、ともすれば「“つまらない“考えだなぁ」とさえ感じることもありましたが、一つひとつの思考法は論理立っていたり実際の例を用いて説明されていることが非常に多く、「なるほど…」と唸ってしまうものばかりで非常にためになりました。

これに加えて、「ほかの自己啓発本ならこう言うだろうなぁ」いうところで異なる見解を見せてくれることも多く、「思考への刺激」や「新たな解釈の獲得」という意味でも良い本でした

こういう見方もあるのか」、「今までは〇〇としか捉えていなかったなぁ」みたいなかんじですね!

 

印象的な学び・フレーズ

ここからは、僕が『Think Clearly』を読んで印象に残ったフレーズや学び、思わず唸ってしまった考え方などをご紹介していきます!
(ここからは、本からの引用だったり、表現をそのまま使ったりして書いていきますので、「内容を知りたくない」という方はスキップしてください。

望んだものを手に入れられないことはある。けれど、どんなときも経験は手に入れることができる。

人は率先して行動を起こすより、考えている方が気楽だ。心地がよいはずだ。だから、行動に移せない。

考えているだけの人は現実と関わらないから、挫折する心配は一切ないが、当然変化もない。

一方、行動する人は挫折をするリスクを負うが、その代わりに経験を積むことができる

ピカソの引用「何を描きたいかは、描きはじめてみないとわからない
人生においても同じで、自分が何を求めているのかを知るには、何かを始めてみるのが一番だ

自分の思考を探ってみても、最後にたどり着くのは、気分の波と、とりとめのない感情と、曖昧な思考だらけの混沌とした泥沼だけの「思考の飽和」である。

 

計画を完璧に遂行する力よりも、その都度計画を修正し、計画を立て続ける力の方が重要である。

よい人生とは、「一定の決まった状態を指す」と思っている人が多いが、それは間違いで、よい人生とは、「修正をくり返した後に初めて手に入れられるもの」である。

しかし私たちは、何かを修正したり見直したりすることに対し非常に強い「抵抗」をおぼえる。なぜか?

それは、どんな些細な修正も「計画が間違っていたことの証拠」のように思えるからだ。

実際には、ものごとすべてが計画通りに運ぶことなど、まずないのに。

ドワイト・アイゼンハワーの引用「計画そのものに価値はない。計画し続けることに意味があるのだ。
大事なのは「完璧な計画を立てること」ではなく、「状況に合わせて何度でも計画に変更を加えること」である

「修正」に抱いている悪いイメージを断ち切り、早いうちに軌道修正修正するという力を身につけている方が、長い時間をかけて完璧な条件設定をつくりあげ、計画がうまくいくのを待ち続けるよりも得るものは大きい。

WordだってiPhoneのOSだって、定期的にバージョンを更新する。
世の中が、自分の周りが常に変化しているのに、計画は変化させないなんて話、冷静に考えたら確かにおかしいですよね。

 

カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』において言及された「戦場の摩擦」でも似たようなことを言っていますね!

戦場の摩擦
 :天候、敵の応急的・非合理的な反応、偶発的な問題、予測不能な事件などの偶発的な事件を挙げながら、これら机上の計画を現実に実行に移す際には、障害になるだけでなく脅威にもなりうると論じた。

まぁ厳密には、この人が言っていたのですが…!笑

 

セネカの言葉「あなたに何かを頼もうとする人たちはみな、あなたから時間や自由な意思を奪おうとしているようなものだ。

チャーリー・マンガーの引用「すばらしい何かが見つかる機会なんて、そうそうあるものじゃない。だから、頼みごとの90%を断ったとしても、チャンスを逃したなんてことにまずならない。

なんでもかんでも引き受けるのではなく、即決で要求を検討するようにするべきだ(本には「5秒決断ルール」とあった)し、そうすれば大抵の頼みは重要ではないということがわかる。

(ちなみに、チャーリー・マンガーは著者ロルフ・ドベリの“推し”の一人のようで、本には頻繁にマンガーの引用が登場します。笑)

 

「相手に合わせて対応する」ばかりではなく、「徹底的に頑固な姿勢」を貫くことも必要である。

なぜなら、、

①決断疲れ(何度も判断することを繰り返すうちに、判断力そのものが鈍っていくこと)によって、楽な方・安易な方を人の脳は判断するようになるから。

②「周囲からの評価」を得ることができるから。

「あの人はああだから」と思わせればこちらの勝ちだ。

しかし、周囲にそう思わせるのは並の「誓約」や「絶対的なコミット」ではいけない。100%例外無く貫いてこそ、その評価を得ることができる。

そして、例外を認めて99%を目指すより、頑固者と思われて100%貫く方が、案外簡単なことなのだ

 

好ましくない現実」を受け入れ、「失敗の原因」を突き止めた方が人生は上向きになるに決まっている。

「試験勉強をしなければいけないときに限って、部屋の掃除が捗る」ように、人は好ましくない現実を前にするとほかのことで気をそらす。その方が楽だから。

しかし、どんなに気を紛らわしても「試験がある」という現実は変わらない。

そんな自己欺瞞はすぐに捨て去った方が良い。

 

「本当は必要のないもの(特に最先端のテクノロジー)」は排除するべきだ。

一見そのテクノロジーや最先端のモノによって効率が上がっているとしても、それを購入するためのお金を準備するための時間やアップデートの時間、使いこなすまでの時間などを考慮すると、一概に「効率化できている」と言えないことも多い。

この「反生産性」を常に頭に入れた上で、本当に必要なものを見極める必要があるのではないか。

 

「人生の豊かさ」や「幸せ」、「成功」を語る上では、「何を得るか」よりも「何を避けるか」の方が重要である。

馬鹿げたことや愚かなことをせず、時代の風潮に過度に流されることがなければ、人生は自ずとよい方向へ向かう

チャーリー・マンガーの引用「長生きする方法をたくさん得るよりも、自分がどこで死ぬかを知った方がいいに決まっている。そうすれば、そこを避けさえすれば長生きできるのだから。

 

「フォーカシング・イリュージョン」に注意せよ。

フォーカシング・イリュージョンとは、特定のことに集中して考えている間はそれが重要な要素のように思えても、実際には自分が思っているほど重要なことでもなんでもない、ということ。

僕の実例をひとつ挙げると、、
マドリードへ弟と旅行をした際、弟がマドリードに到着早々スマホを盗まれてしまいました。
本来その日は、マドリードの隣の街トレドへいく予定でしたが、その予定をキャンセルしてまで半日中スマホ探しに明け暮れました。
友人との連絡、SNSへの投稿などを加味しても、冷静に考えれば無くしたスマホ(しかも海外でなくして見つかったら奇跡)とトレド観光と、どちらの方が重要かを考えたら、次にいつ来れるかもわからないトレド観光だろうし、そもそもかんこうをするためにマドリードに来ていますよね。
ですが、「スマホをなくした」という事実に集中しすぎて、スマホの重要性が一番であると思い込んでしまっている
まさに、フォーカシング・イリュージョンの典型例です。

 

 

「嫉妬」もまた、フォーカシング・イリュージョンの最たる例である。

ある一部分にフォーカスすれば、自分よりも優れている人、豊かな人なんて世の中に溢れかえっている。冷静に考えればそんなことは当然だ。

他人との比較は、幸福を遠ざけるということを認識するべきだ

そして、自分が嫉妬の対象にならないためには、「謙虚」であればよいのだ。

 

「選択バイアス」の罠。

選択バイアスとは、全体を反映していない偏りのある例をサンプルとして抽出すること。

よくある成功者や偉人の体験談・成功話は、「選択バイアスの罠」の最たる例だ。
「今世紀最高の天才ピアニスト」とか、「史上最年少〇〇」とか、身近なところで言うと「なんで私が〇〇に」とか。

成功者の例にしか触れないことで、「自分もこうなれるのではないか」という思い違いを起こしやすくなる。
(お分かりのとおり、世の中にはこの選択バイアスを利用した広告や宣伝が溢れかえっているわけなのだが。)

しかし、そんな成功例は本当にごく一部であるとともに、失敗例を目にすることはほとんどないと言えるだろう。

昨今のコロナウイルスも良い例かもしれない。
連日、国内の集団感染の話題や海外の死亡者数について報道されているが、本気でコロナウイルスの脅威・危険度を判断するのなら、「過去の感染症との患者数・感染力・死亡率などの比較を数字ベースで行う」とか、「感染したものの症状が回復した例に目を向ける・報道する」などが必要だと思う(後者は、未だ症状から回復した・陽性から陰性に好転した例が本当にないだけかもしれないが)。

冷静に客観的に判断し、試行錯誤を繰り返していく。

「こうなる(ノーベル賞を取る)」ではなく、「こうする(毎日必ずこの実験を行う)」という行動指針を立てて行動するというのなら、大きな目標・野望を望むのはすばらしいことだ

ただ、世の中の選択バイアスだらけの成功例に目が眩み、ただ盲目的に目標を定めるだけではいけない

誤った思い込みによって目標や仕事を選ぶのではなく、自分が好きなことや得意なこと、そして、人々が評価してくれることを活かした方が絶対に良い

 

「それ以外に選択肢がなかった」ほど、ただの言い訳なことはない。

少なくとも本を読めたりネット環境があるところで生活できている人ならば、選択肢はいくらでもあるはずだ。

狩猟社会の人間、古代の奴隷や中世の農婦たちを見てから、その言葉を使うべきだ。

 

目標を立てることは何より大切であるが、その目標は時に曖昧である方がよい。

セネカの言葉「すべての行動は、ひとつの目標に向けられていなければならない。そのためには、常にその目標をしっかり見据えておくことだ。
目標は必ず達成できるとは限らない。しかし、目標を設定しなければそもそも何かを達成することもできない

加えて、人の幸福度は「目標を達成できたか」どうかに左右されるところが非常に大きい。

だからこそ、立てる目標は”現実的“であるべきであり、時には曖昧にしておくのも手である(「億万長者になる」ではなく、「裕福になる」みたいに)。

そして何より、「少しでも早くどこかへ辿り着くこと」よりも、「自分が今どこへ向かっているのかを把握しておくこと」の方が大切である

 

「ピーク・エンド方式」によって得る喜びは本当に幸せか?

何かを体験したときに主に私たちの記憶に残るのは、その出来事の中で一番印象深い「ピーク」部分と、出来事の「終わり」だけである」ということを、ピーク・エンド方式と呼ぶ。

また、体験する出来事の「長さ(時間)」についても、記憶に残るかどうかへの影響はないとされている。
(個人的には、時間の程度によってはその限りではないと思う。例えば、一週間の旅行と三週間の旅行では差はないかもしれないが、二泊三日と一ヶ月だと、さすがに印象に違いは出るのではないかな。笑)

つまり私たちは、「短期間」に集中して得られる喜びや快楽を過大評価し、「長期」にわたって手に入る静かで平穏な喜びを過小評価しがちである

「自然の中を長時間ハイキングすること」よりも「バンジージャンプ」の方が、「パートナーとの定期的なセックス」よりも「ぞくぞくする一夜限りの関係」の方が、「本を読むこと」よりも「YouTubeを見ること」の方が、人間は喜びや快感を感じがちでなのである。

ただ、そういった短期的な行動は危険を孕んでいたり時間の無駄になることが多いのも事実である。いっときの快楽ではなく、穏やかな喜びを望むのもまた大切ではなかろうか

(「人生は苛烈に生きた方がおもしろい!」という自己啓発本や自己啓発セミナーにありそうな意見ではなく、「穏やかに生きる」ことを推奨しているというのが、いかにも「現実的」だと感じました。)

 

「自分は自分のことを誰よりも知っている」というのは、ただの思い上がりだ。

「自分」とは、自分が思っている以上に多面的で、複雑で、矛盾の多いものだ

なので、「自分は自分のことを誰よりも知っている」なんてことを思うべきではない

そしてだからこそ、私たちは「自分」を知る努力をするべきだ。

他者からの評価に耳を傾け、失敗から何かを学ぶ必要がある

自分が誰かわかっていれば、なりたい自分になれるチャンスは大きくなる

 

自分の「尊厳の輪」を築き、それを守ることの重要性。

自分の「主義」を「ポリシー」を行動ベースに移したものが「誓約」であり、いくつもの「誓約」をまとめたものが、「尊厳の輪」である

「尊厳の輪」は、
・「より筋の通った理論」
・「自分の信念を脅かす危険」
・「悪魔との契約(何かを得る代償に、自分の誇りを失うなどの結果をもたらすこと)」
から身を守ってくれる。

「尊厳の輪」に大切なのは、その境界がどこであるかをはっきりと把握しておこくとであり、輪の大きさ(誓約の数)や論理的根拠はそれほど重要でないどころか、かえって輪の大きさは小さい方が良いし、論理的に尊厳の輪を構築するべきではない。

輪が大きすぎると矛盾が生じやすくなるし、なによりすべての誓約を守りにくくなる。論理的根拠によって輪をつくってしまうと、同じく論理的な理由によって他者に輪を破壊されかねない

そして、尊厳の輪を守るためには、時として誰かを傷つける・落胆させる・失望させることになるということも覚悟しなければならない。

キング牧師は「何かに命をかける覚悟のない人間は、人生に未熟である」と言ったが、つらい経験に耐える覚悟のない人も、やはりよい人生を手に入れられるほど成熟しているとは言えない。

人間関係の摩擦を起こさずに生きていけるのは、操り人形だけであり、傷つくのを恐れていては、尊厳の輪は築けない。

 

「わからない」「意見がない」という“意見”もまた、時には知性を表すこととなる。

自分が興味のない話題や複雑な問題について語ったり、性急に答えを出してしまったりすると、間違った判断をしてしまうことがある。

そして、常に意見を持たなければいけないという“呪縛”は、精神的な平穏を阻害し、心の静寂を乱す。

はっきり言って、有名人が覚醒剤を使用しているかどうかなど、自分の人生に関係ないだろう。(もちろん、その有名人のファンだとか、芸能界に興味があるといった人は別だが。)

本当に自分が考えるべき話題・テーマについて考えることに注力し、本当に必要な時に意見を言えばいいし、自分が答えて相手の意見やその環境が変わることの方が少ないということも自覚するべきだ

 

つらい状況を乗り切るための4つのアドバイス(ボエティウスの『哲学の慰め』より)

①運命(フォルトゥナの輪)のアップダウンをあまり深刻に受け止めないこと。

これは、「自分の失敗は例外的に世の中のシステムがうまく機能しなかったせいだ」とするというわけではなく、純粋な「運」のことをいう。世の中の多くは「偶然の産物」であり、「運」次第であるという考え方も頭に入れておくとよい

②自分が所有しているもの、大事にしているもの、愛しているものをはじめ、この世のこと・ものはすべて永遠ではないということを理解しておくこと。

健康も、人生のパートナーも、子どもも、友人も、財産も、仕事も、評判も、社会的地位も、すべては時とともに移ろうものだ。だから、ほしいものすべてを執拗に手に入れようとするのはやめよう。気楽に構えて、運命の女神フォルトゥナが与えてくれたときに感謝するくらいがちょうどいい。

③何かを失ったとき、あるいは、多くを失ったとしても、自分の人生には良いことの方が多く、良いことにも負の出来事が付き物であるであることを忘れないこと。

失ったものを惜しむのは、「失ったもの」や「悪いこと」よりも、今までに「得たもの」や「良いこと」の方が多いからであり、何事も良し悪しは表裏一体である。

④自分の思考や、思考の道具(思考の方法)や、精神的な対処法・強さだけは、誰であっても自分から取り上げることはできない。(これを『Think Clearly』では「精神的な砦」と呼んでいる。)

ヴィクトール・フランクの言葉「考え方の選択は、人間に残された最後の自由だ。
どんなことがあっても取り上げれることのない、失うことのない「精神的な砦」の内側を充実させることこそ、幸せな人生を送る秘訣である。

 

人生における“賢さ”とは、未然に困難に対して予防措置を施すことである。

アインシュタインの言葉「頭のいい人は問題を解決するが、賢明な人はそれをあらかじめ避けるものだ。

「問題を避ける行動」というのは、魅力に欠ける地味なものに思えるのが厄介だ。

「未然に危機を回避し続け、会社を着実に大きく成長させた社長」よりも、「倒産危機からV字回復させた社長」の方が、世の中の注目を集めるし、評価も高くなりがちだ。

これは、「予防措置」による成功が外から認識されにくいことがいちばんの原因であると考えられる。

ただ、大切なのは「目につきやすい」業績や成功よりも、「未然に失敗やトラブルを回避するための予防措置」であり、予防措置を施すためには、知識のみならず「想像力(予測力)」も必要なのである

想像に従い、起こるかもしれない問題の原因を突き止め、未然に防ぐことこそが、“賢い”人生というものである

 

人生において「フォーカス」は非常に重要である。

ここで言う「フォーカス」とは、「着眼点」や「注意を向けた点」という意味だ。

情報や出来事の“どこに”注意を向けたかによって、成功を手にするかどうかが決まる

現代の世の中には「情報」が溢れかえっている。一見すると、「情報」は「贈り物」のようで、それを選択“している”ように思える自分は「王様」気分のようかもしれない。

しかし実際は、「情報」は私たちの注意や時間、時にはお金や自分の意思までを奪う「略奪行為」であり、我々は「情報」の「奴隷」であることを認識しなければいけない

ただ、一朝一夕でメディアとの上手な付き合い方が身につくわけではない。何度も試行錯誤を繰り返しながら、その都度情報のどこへ注意を向けるのか、さらには身に起こる出来事のどこへ注意を向けるのかを身につけていくしかない。

例えば、、
・「新しいもの」や「世の中で騒がれているもの」が「自分にとって重要なこと」とは限らない
・「無料」ほど高くつくものはない(ことが多い)
・情報を受け取るだけの「弱者」ではなく、発信する側である「強者」になる
など。

 

「没頭」することの重要性。

『Think Clearly』では、「良書を続けて二度読むことの重要性」の部分で語られることですが、「没頭」の重要性は他の事柄にも当てはまると僕は感じました。

というか、何かを極めたり結果を残すには、他のことに目も向けないような「没頭」が、どこかのタイミングで必要不可欠だと思う。

そして、没頭の延長としての「繰り返し学習」もまた、成長や学ぶことにおいては非常に重要な行為ですよね!

 

「心の引き算」もまた重要である。

ストア派哲学者の言葉「まだ持っていないものについて考えるより、今持っているものを持てていなかった場合、どのくらい困っていたかについて考えた方が良い。

銀メダリストは、金メダルを取れなかったことを意識してしまうから、幸福度が低い傾向にある。もしそこで、「そもそもメダルを取れなかったなら」と意識することができれば、幸福度は上がるはずなのに。

「あれを手に入れることができたらな…」「あぁなれればなぁ」というように、「今自分にないものがもしあったら…」とフォーカスするのではなく、「もしこれがなかったら…」「もし今の場所にいなかったら…」というように、「今自分にあるものがなかったら…」と引き算形式でフォーカスした方が、心の安定を掴みやすい。

(ある意味では”無難“で“面白みに欠ける”考え方とも言える「心の引き算」を推奨しているあたり、他の自己啓発本よりも”現実的“であると言えますよね。)

 

「カーゴ・カルト(積荷信仰)」はさっさと捨て去るべき。

第二次世界大戦の際、戦場となった太平洋の島々の住民は、見慣れぬ装いをした異国の人々が空を飛ぶ鳥のようなものから食糧を受け取るのを目の当たりにし、しかも何と、それを自分たちにも分けてくれたのである。食糧を得るために何の行動も起こしていないように見えたのに、食糧を手にしている…。

戦争が終結して各国の軍が撤退していくと、島の人々は一風変わった儀式を行うようになる。森を焼き払って滑走路のようなものをつくり、そこに藁でつくった実寸大の飛行機を置き、竹や木彫りの無線機や機材を用いて、島に駐在していた軍人たちの真似をしたのである。これによって、戦争中に食糧を恵んでくれた鳥のようなものを呼び出そうとしたのである。

もうお分かりだろうが、島民たちは軍人たちの行動を模倣することで食糧を運んできた飛行機を招き寄せようと儀式をしていたのだが、当然、飛行機は現れない。

島民たちの儀式(カーゴ・カルト)は、軍人たちの行動の理由や飛行機がなぜ食糧を運んでいたのかを理解していないために起こったものな訳だが、このカーゴ・カルトは現代でも起きているという。

それは、本当の意味を理解しないで形式ばかりにしがみつくことである。

例えば、マッサージルームや無料の食堂を配するといったGoogleのオフィスを模倣しただけの会社設備や、ジョブズのようになろうと年中タートルネックとジーンズで生活する、といったものだ。

勘違いしないでほしいが、これらが根本的に「悪いこと」であると言っているのではない。

「中身の伴わない形式主義」こそが、時間を無駄に消費させ、場合によっては自分の考え方を狭くさせられることにもつながりかねないということを言いたいわけだ。

「その人は(その企業は)なぜ成功したのか。なぜそのような行動をとったのか」だったり、「なぜこの行動・行為が必要なのか」という“中身”や“意味”を理解することなく行う行為はまったく何の意味もなさないし、行為の中身や意味がそもそも存在していない「形式的な行為」は時間の浪費につながり、考え方を狭めることにも繋がりかねないということを認識する必要がある。

 

「専門分野」を持つだけにとどまらず「自分のレース」を見つけることこそが、今の時代では必要である。

グローバリゼーションやテクノロジーの進歩によって、今の時代は「多才である」よりも「専門性がある(スペシャリストである)」方が有用性が高くなった。

確かに、各分野におけるスペシャリストの数は増えているが、その分競争は熾烈となる。

しかし、目まぐるしく状況が変化する現代においては、専門分野の数もスペシャリストの数と同様に、日に日に増えている。

だから、「他人のレース(専門分野)」で勝とうとするのではなく、「自分のレース」を早くに見つけることが大切なのだ

専門性を持つと同時に、競合がいない分野を選べれば(見つければ・創れば)なおよいということだ。

昨今流行の「教養」は、もはや趣味としてしか役に立たないという認識を忘れてはいけない。

(「多才であること」や「教養をもつこと」を推している本の方が多い中、こういった見方もあるのかと教えてくれました。)

 

「必然」と「願望」と「期待」は区別する必要がある。

人間が「しなければならないこと(必然のこと)」なんて実は数えられるくらいしかなく、そのほとんどは「願望(~したい)」が本当の姿である

例えば、「起業しなければならない」、「小説をかかなければならない」などは、「起業したい」「小説を書きたい」が本来の姿だ。

そして、外に向けた「期待」は、時に大きな失望として返ってくる

しかし、自分の期待通りに外の世界(他者や出来事)が進んでくれることなんてほとんどないと思った方がよい。

失望感は幸福感を損なうことにつながるわけだから、「期待」としっかり付き合っていかなければ幸福な人生を送ることはできない。

 

「フォーカシング・イリュージョン」と「意図スタンス」によって、人間は「偉人」をつくり出して“しまう”。

ある一点に注目することでそのことを過大評価してしまう「フォーカシング・イリュージョン」と、「変化が起きる際には、必ず誰かの意図が働いている」という考え方を指す「意図スタンス」。

ジョブズがいなければiPhoneは生まれなかった?
ザッカーバーグがいなければFacebookはできなかった?
アインシュタインがいなければ相対性理論は見つけられなかったのか?

そんなことはない。

“たまたま”ジョブズがiPhoneを生み出し、
ザッカーバーグがFacebookをつくり、
アインシュタインが相対性理論をみつけただけであり、
ジョブズがいなくともiPhoneに似たもの(スマートフォン)は生まれただろうし、
ザッカーバーグがいなかったらFacebookでなくとも似たようなサービスは生まれただろうし、
アインシュタインがいなければ「相対性理論」という名ではないかもしれないが、同じような定義は誰かが見つけただろう。

歴史上の重要な出来事には、決まって“偶然”の出来事が起こっており、過度な偉人信仰は現実を見る目を曇らせるし、「自分が世界を変える」だなんて大きすぎる大望は、失望につながるだけだから抱くべきじゃない

自分が自他共に認めるほど優秀な存在であったとしても、「自分でなければいけない」なんて思うべきではない。世の中の大きな構成から見たら、どんな人間も取り替えがきくということを忘れてはいけない

大切なのは、自分の“人生に”フォーカスすることだ


「謙虚であること」や「思い上がりのないように」ということ、「大望を抱きすぎて身動きがとれなくなってしまわないように」ということを言いたいのかもしれない

が、僕は「どんな人間でも取り替えがきく」という考えは嫌いです。

もちろん、現実的な話をすれば本の通りだということはわかります。

どんな人間でも、何だかんだでスペアが見つかるのが今の世の中。

大統領だってノーベル賞受賞者だって、サッカーのスーパースターだって、いずれは忘れ去られるし、いなくなったらいなくなったで、新たな人物が台頭したり、同じような政策をした、同じような発見をしたであろう人物はいただろうから。

でもね、それでも「どんな人間も取り替えはきかない」という考え方のもと、僕は生きていきたいと思うのです。

その方がきっと楽しいし、自分のやりたいこと・生きがいを見つけることにもつながると思うから。

ともあれ、自己啓発本にしてはかなりリアリストですよね。

現実的すぎて少し冷めてしまうほどなのですが、冷静に人生を考えるのであれば、これくらい現実的でもよいのかもしれないとも感じました。

 

現代人は「成功」や「幸福」を「物質的な成功」に結びつけたがるが、真に大切なのは「内なる成功」、心の充足や平静さを手に入れることだ。

「成功」の定義は時代によって変わる。

現代における「成功」は、資産やものなどの物質的なものや、名声や地位といった外からの「評価」によりことが多い。

しかしこれらは、自分の力が及ばない“偶然の力”によって得た部分も大きく、得ようと思うにも自分の外側からの影響を受けるしかない。

そうではなく、自分の内側、すなわち「心の充実」を得た方が、どんなことが起こっても「幸福」でいられる可能性は上がるし、“いまの”人生がより充実するはずだ

そしてなにより、「物質的な成功」を目指す人も、結局は「内なる成功」を意識せずとも目指しているのだ。

お金をより多く得たい、素晴らしい発明をしたい、一流の選手になりたいと思うのは、どうあれなんらかの欲望を満たすためであるからである。だったらはじめから、内なる成功を目指した方が効率が良いのでは?


「心の成功・充足」を望むのは僕も大いに賛成だし、そういう人生を送りたいと心から思っている今日この頃です。笑

ただ、「外側への成功」を完全否定するほどでもないのが今の自分だと感じました。

人は時として、驚くくらい非効率で愚かな行動をします。
けれど、それも充実した“生”を謳歌するためには必要なことなのではないか?
その中で生まれることだってあるだろうし、何でもかんでも効率重視っていうのも、面白味のない人間になってしまう。

『Think Clearly』でも、「快楽を満たす楽しさ」と「有意義だと思う楽しさ」のバランスこそが大切だって言っていますからね!

 

言葉だけの定義付けのみでは、ほとんど意味をなさない。

リチャード・ファイマンの言葉「あなたがある鳥の名前を世界中の言葉で知っていても、あなたはその鳥について何一つ知っていることにはならない。だからこそその鳥をよく観察して、どんな動きをするのかを知ろう。それが一番大切なことだ。私は幼い頃に、『何かの名前を知っていること』と『何かを知っていること』の違いがわかるようになった

よく、「わかる」と「できる」は似ているようで全然ちがうということが言われますが、それに近いことですね!

「カーゴ・カルト」同様、外殻・上っ面だけの知識や模倣では、何の意味もないどころか、むしろネガディブなくらいです。

このことを認識した上で日々を過ごすと、より意義のある・“深み”のある人生を送れることでしょう。 

 

 

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『Think Clearly』のまとめ

ということで、今回の書評ブログではロルフ・ドベリの『Think Clearlyについてご紹介してきました!

本に書かれていた思考法や、それを受けての僕の感想や考えを書かせていただきました。

『Think Clearly』は全体として、大きく激しい成功や人生よりも、静かで穏やかな成功・人生を好む傾向にあるように感じました。
(というか、外国人の方が書く自己啓発本はその風潮が強い気がしますし、何より、僕が好むのもそういう“静”の方です。笑)

加えて、めちゃくちゃ現実的。

そこまで現実的になると夢のかけらもなくない?ってくらい、たまに現実的ですからね。

ドベリさんはリアリストなのかな。笑

ただ、ここまで現実的な人と普段話すことはないし、本の世界でもなかなか見つけられないかもしれない。

そいういう意味では、「よりよく生きるための思考法」を知るにはもってこいとも言えますよね。

なかなか手に入れることがでいない思考法ですし、自分とは違った考えに触れることで、自分の考え方を再確認したり、思わぬ自分の感性に気付くことができるかもしれません。というか、僕はできました。

もちろん、普通に自己啓発として読んでも非常に学びの多い良書であると感じました。

「最近面白ことがないんだよなぁ」とか、「どうせ自己啓発の本なんてどれも同じだろ」と思っている方には特に読んでいただきたいですね!

『Think Clearly』、きっとあなたの灰色の脳細胞にも新しい刺激が送られること間違いなしですよ!