みなさんこんにちは!旅狼かいとです!
今回お届けするのは、世界で最も有名な先史時代の遺跡と言っても過言ではない場所「ストーンヘンジ(Stonehenge)」についてです!
神話や伝承が多く残るイギリス、ブリテン島の中でもとりわけ謎が多いストーンヘンジ。
まさにロマンの塊とも言える場所ですね!
今回は、そんなストーンヘンジはもちろん、ストーンヘンジへ行く際に経由する町「ソールズベリー(Salisbury)」と、ソールズベリーのシンボル「ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)」についても併せてご紹介します!
神秘にあふれるイギリスならではの魅力を、たっぷりとご堪能ください!
ストーンヘンジ(Stonehenge)について
概要
「ストーンヘンジ(Stonehenge)」は、イギリス南部の町ソールズベリー(Salisbury)からアクセスできる、円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からできているストーンサークルになります。
ストーンヘンジから30kmほど離れたエーヴベリー遺跡群と合わせて、1986年にユネスコの世界遺産にも登録されている、人類史・文化史において非常に貴重な遺跡ですね!
ストーンサークルなのにストーン”ヘンジ”という名がついたことには、大きく2つの説があります。
1つ目は、横石が縦石に蝶番のように積んであることから、古英語で「蝶番」を意味する “hencg”(現代の英語では”hinge”)からとったという説。
2つ目は、ストーンヘンジの構造が、二本の柱とそれに横木をのせてできていた中世の絞首台に似ていることから、「絞首台」や「拷問具」を意味する “hen(c)en” からきているという説です。
個人的には、遺跡などの名称に2つ目のようなネガティブなイメージを連想させる名前をつけるのかはちょっと疑問ですが。。笑
ともあれ、このどちらかの理由から「ストーンヘンジ(Stonehenge)」と呼ばれるようになったと考えられていますね!
成り立ちと構成について
ストーンヘンジの巨石群は、紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えられており、この場に何らかの建造物が建てられ始めたのは紀元前3100年頃にまで遡ると言われています。
石柱はただ置かれているのではなく、地面にくぼみを作ることで”ほぞ継ぎ”のようになっています。
これによって石柱が倒れないようにさせていた、ということですね。
さらに、夏至の朝には、太陽が「ヒールストーン」というストーンサークルから少し離れたところにある特定の岩の付近から昇るように見え、加えて、太陽の光がサークルの中心に当たります。
これは偶然では起こりえな現象なのだそうで、当時の文化レベルから想像できる建築技術と天文学の知識からはつくり得ないと考えられており、この技術力や知識力についてが、未だ謎な部分の一つと言われています。
また、ストーンヘンジの建設には多くの人員を要したとも考えられており、高度な技術と豊富な知識に加え、非常に発達した社会性を有するコミュニティが存在していたとの研究結果も出ています。
こういった紀元前や古代の時代の建造物は、このストーンヘンジに限らず本当に謎が多いですよね〜!
現代の人たちが思い浮かばないような方法・手段を古代の人々はとっていたようですが、古代の人たちにできて、ここまで文明が発達した現代の人たちが再現できない・想像できないというのも、なんだかおかしな話、あるいは、ある種の皮肉めいた話に感じますね。
ストーンヘンジの建築目的や伝説
ストーンヘンジが発見されてすぐの頃に、特に歴史家が中心となって主張されたストーンヘンジの成り立ちには、かの有名な『アーサー王伝説』が紐付けられたり、デーン人が建てただのサクソン人が建てただのと、かなり多くの説が出ていたようです。
デーン人とサクソン人はどちらもゲルマン系で、デーン人は現在のデンマーク人の、サクソン人は現在のイングランド人とドイツ人の一部の基盤となった人種です。
また、ストーンサークルの中で重要な役割を担っているとされる「ヒールストーン」は、長い間「修道士のかかと(Friar’s Heel)」とも呼ばれていました。
これは、「悪魔が修道士に投げつけた石が修道士の踵にあたって地面に突き刺さり、それがそのままにされて現在に至った」という伝承からなのですが…
あんなに巨大な石が踵に当たったら、間違いなく足が潰れると思うんだけどなぁ。。笑
ただ、「修道士のかかと(Friar’s Heel)」という言葉には、北欧神話の女神フレイヤとウェールズ語が絡んでいるという説もあったそうですね!
これは、「フレイヤ」と古ウェールズ語の「道」が合わさった「フレイヤ・ヒー・オル」(綴りが載っていませんでした…)、あるいは「フレイヤ」と「太陽日」を表す語と合わさった“Freya Sul” が崩れたものだというものです。
結局今日に至るまで、ストーンヘンジの遺跡の建設・使用の目的については研究が進められており、太陽崇拝の祭祀場やケルト民族の祭祀であるドルイドの礼拝堂、さらには天文台や埋葬場など、様々な説が唱えられていますが、未だに決定的な結論はでておらず、説という説が出ては消え出ては消えという状況。笑
まぁこのあたりが、ストーンヘンジに対する”ワクワク”を掻き立てられる最大の要因であることもまた、間違いないのですがね…!!
ストーンヘンジの様子
では、ストーンヘンジの様子を実際に行ってきたときの写真とともにご紹介していきましょう!
ソールズベリーの町から出るバスは、夏場のピーク時は約30分おき、それ以外の時期は1時間おきに運行しています。
ソールズベリーとストーンヘンジを往復するバス、ストーンヘンジ入場、オールド・セーレム(後述)入場のチケットがセットで販売されていますので、団体ツアー以外で訪問される方はこちらを利用するのが一番コスパが良いですね!
ソールズベリーから30〜40分で、ストーンヘンジのビジターセンターに到着します。
ビジターセンターで食事を挟みます。
昼食後は、ストーンヘンジの周りを少し散策しました!
柵があるところもありますが、柵などが特になかったり門のようになっているところは入っても問題ありませんでした。(少なくとも注意とかは受けなかった。笑)
せっかく晴れてきたので、再びストーンヘンジへ向かいました!
ストーンヘンジからソールズベリーへ!
まずはストーンヘンジの感想から。
正直言うと、ストーンヘンジは思っていたよりも小さかったです。笑
がっかり、とまではいきませんが、期待しすぎるとその下をいってしまうかもしれませんので、過度の期待はNGです!笑笑
そして、僕個人としてはストーンヘンジ以上に周りの風景がとても素晴らしかったですね!
この日は晴れたり曇ったり雨が降り出したりと、2月・3月のイギリスらしい変わりやすいお天気だったのですが、晴れたタイミングで周りの草原を見渡したときの清々しさは本当によかった…!!
「これぞイギリスの田舎!」というかんじで、とても満足のいく景色でしたね!
では、ストーンヘンジからソールズベリーへ向かうバスからの写真をご紹介します!
ソールズベリー(Salisbury)について
続いては、「ソールズベリー(Salisbury)」の町について取り上げていきます!
前述した通り、ストーンヘンジへ行く際に多くの方が通ることになるであろう町が、このソールズベリーになります。
フランスでいう、「レンヌ(Rennes)」と「モンサンミッシェル(Mont-Saint-Michel)」と同じような関係ですね!
ソールズベリーは、街を北から南へ流れるエイボン川と、街の南西からエイボン川に合流するナダー川という2つの水源を持ち、古くから水に恵まれてきた町です。
町の起源は鉄器時代にまで遡ると言われ、確認できる最古の名は、古代ローマ帝国が呼んでいた「ソルヴィオドゥナム(Sorviodunum)」という名。
その後、ノルマン人が”Searesbyrig”や”Seresberi“と呼ばれる城を建て、ウィリアム1世(ウィリアム征服王)が記録させた世界初の土地台帳「ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)」には、”Salesberie”という名前で記されています。
「ソールズベリー(Salisbury)」の音は古くから続いたものの名残というわけですね!
ノルマン人が建てた城があったとされる場所は、現在「オールド・セーレム」と呼ばれ、市街地から距離はありますが町の名所の一つとなっています。
「セーレム」とは「ソールズベリー」を略したもので、”Salesberie”とラテン語特有の語尾”um”を合わせたものではないかと考えられています。
ちなみに、魔女裁判で有名なアメリカの「セイレム(セイラム)」とは特に関係はないですよ!
そして、、オールド・セーレムとのソールズベリー二大名所の双翼を担うとともに、ソールズベリーのシンボルとも言えるのが「ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)」になります!
ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)について
「ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)」は、1220年に建設が開始され、まず大聖堂が、続いてファサード、尖塔の順で完成していきました。
ソールズベリー大聖堂の尖塔は、建築当初から今でもイギリスで最長の尖塔なのですよ!
また、大聖堂のチャプター・ハウス(Chapter House)と呼ばれるもともと図書館だった部屋には、現存する4つのマグナカルタの写本のうちで最良の状態のものが保管されています。
さらに、大聖堂の時計(Salisbury Cathedral Clock)は1386年から現在まで時を刻み続けており、世界で最も古い現役の時計として知られています。
このように、歴史的にも重要な品が揃っているのがソールズベリー大聖堂なのです!
マグナカルタについて
ここで、マグナカルタについても少し触れておきます。
「マグナ・カルタ」という言葉自体は、”Magna Carta”と書くラテン語の言葉になります。
英語では”the Great Charter of the Liberties”と書かれ、この直訳が「自由の大憲章」となります。
マグナカルタは、1215年にイングランド国王ジョンに対し、貴族と都市が王権の制限や貴族特権の獲得、都市の自由、さらには国民への不当な権利(自由、生命、財産など)侵害の禁止などを認めさせた憲章です。
世界史の勉強では「とにかく素晴らしい画期的なもの!」みたいに扱われることもありますが、厳密に言うと市民の立場でつくられたというわけではなく、あくまで、主に貴族たちが自分たちの権利の確保のために国王にほぼ強制した文書なのです。
ですが、イングランドは当時から「議会制度」が非常に発達していた国。
この議会に一定の力を集めることで、同時期の他のヨーロッパ諸国のように、貴族がやりたい放題にならなかったのかもしれませんね!
そして今日では、マグナカルタの制定は立憲主義(「法による支配」を良しとする考え)の出発点と考えられており、加えて”非成典憲法”であるイギリス憲法の一部にも位置づけられています。
ソールズベリー大聖堂の様子
それでは、写真とともにソールズベリー大聖堂をみていきましょう!
ソールズベリー大聖堂は、塔のツアー以外は無料で見学できますよ!
おまけ。ソールズベリーの街並みです!
ストーンヘンジ&ソールズベリー まとめ
ということで、今回はストーンヘンジとソールズベリー、さらにソールズベリーの町シンボルソールズベリー大聖堂をご紹介してきました。
ストーンヘンジは言わずもしれた有名観光スポットですが、その経由地であるソールズベリーはそれほど立ち寄る人が少ないかと思います。
しかし、コンパクトな町はイギリスの田舎町を満喫するにはもってこいですし、ソールズベリー大聖堂の圧巻の佇まい、荘厳な身廊とパイプオルガン、そしてマグナ・カルタは一見の価値が大いにあります!
ある意味”穴場スポット”となっていますので、ストーンヘンジへお越しの際は、ぜひソールズベリーの町でも時間をつくってみてくださいね!
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