みなさんこんにちは!旅狼かいとです!
突然ですが、「かちかち山」って聞いたことありますか?
小学校の国語で聞いたことがある…かもしれないお話だと思います。
今回のブログでは、山梨県の富士山麓・河口湖畔に立つ、そんな「かちかち山」こと「天上山」の観光案内をしていきます!
なぜこんなところに行ったのかというと、、家族旅行をしたからです!
富士山周辺は一人旅で行っても…というのがぶっちゃけな感想なのですが(笑)、家族旅行ならピッタリの場所なのです!
また、旅行情報に加えてこのかちかち山が登場する民話『かちかち山』のお話もご紹介していきます!
今日にまで残る民話や童話といった物語は、それぞれに「メッセージ性」のようなものが存在するからこそ残っているのだと僕は考えています。
その一端をこの記事で皆さんにも触れてもらい、少しでも童話や物語の世界に興味を持ってもらい、さらに関連する地に足を運んでいただければ、これ以上の喜びはありません!
ということで前置きはこの辺にして、早速内容に入っていきましょう!
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〜もくじ〜
かちかち山の基本情報

ではまずは、かちかち山の観光情報をご紹介していきましょう。
冒頭でも書いたように、「かちかち山」は正式な名称ではなく、山自体は「天上山」という名前です。
では、どうして「かちかち山」と呼ばれるようになったのでしょうか?
それは、太宰治が描いたお話『カチカチ山』で、この天上山が「カチカチ山」として舞台設定されたことに由来するのです!
太宰治といえば、『走れメロス』や『人間失格』などの作品で有名ですよね!
太宰治の『カチカチ山』というお話は、『御伽草子』という短編集に収録されている物語で、太宰治が童話『カチカチ山』の自身の解釈を物語調に書いていくというものになっているのです。
つまり、、
元々の民話『かちかち山』では、舞台がここ天上山であるという記載はないのです!笑
太宰治が「ここがカチカチ山だ」といったから、いつの間にかここ天上山が「かちかち山」になったのです!
太宰治の影響力、さすがは日本を代表する文豪ですね…!
民話『かちかち山』と太宰治について、詳しくは後述しますのでお楽しみに!
(先に読みたいと言う方はこちら!)
かちかち山の観光案内
続いて観光案内です!
観光地として「かちかち山」をご紹介するなら、「富士山パノラマロープウェイ」の紹介ということになります。
見どころは、なんといってもその美しい風景ですね!!
富士山パノラマロープウェイ
ゴンドラ
乗り場でチケットを買って入場すると、早速かちかち山の物語でお馴染みのタヌキが出迎えてくれます!

ちなみにゴンドラの乗車チケットは、
一般的な「往復券」のみならず、
「片道」や遊覧船とのセット券など、
数多くの種類が用意されています。
約40分のハイキングコースを使えば徒歩でも天上山を登ること・降りることができるので、プランに沿ったチケットを購入してみてください!

ロープウェイのゴンドラからは、このように河口湖が一望できます!

上りの際は進行方向向かって左側に見えるので、そちらに陣取ると景色をより楽しめますよ!!
たぬき茶屋

山頂に着くと一軒の建物が建っています。
こちらが「たぬき茶屋」と名付けられた休憩所になっており、さらにたぬき茶屋の屋上が、パノラマロープウェイの「展望台」になっています!
たぬき茶屋では、お土産を購入できたり焼きたてのお団子がいただけたりします!
「茶屋でお団子をいただく♪」という粋なことができるなんて、ちょっと嬉しいですよね!
(とはいっても、風情を感じるほどまわりは静かではないですが。。笑笑)

茶屋の前でもウサギがタヌキをいじめてましたが、ここでもウサギがタヌキを、、笑

このように、民話のワンシーンを実際に像にしているものが頂上には結構あるのですが、
こうして見ると、タヌキがアホっぽく見えてしまいますし、ウサギもなかなかにヒドいですよね。。笑
シュール、ってこういうことを言うのかなと感じます…!笑
そしてそして、たぬき茶屋の屋上展望台からの風景がこちらとなります!

街の奥に広がる緑の森が、「青木ヶ原樹海」です!
そして、その先に富士山!!となるはずが、、
この日はキレイに雲に隠れてしまっていました。。
晴れていれば本当に迫力ある富士山が見えるのですが、、天気ばかりは時の運としか言いようがありませんからね。。
皆さんが富士山を眺めることができるのを祈っております…!!
(個人的にはまたリベンジに行きたい!!)
天上の鐘
ここからは、ロープウェイ頂上の人気スポット3選をご紹介していきます!
まずは「天上の鐘」です!
富士山は「霊峰富士」とも呼ばれ、古くから神聖なものとして讃えられてきました。
そんな富士山を眺めながら鐘の音を響かせれば、願いも叶うこと間違いなし!
ということで、鐘を鳴らすことで無病息災のご利益をいただけるそうですよ!
そしてこの形からもわかる通り、、恋愛成就のご利益もあるとか…!!
実はこの鐘を鳴らすことでいただけるご利益、鐘の鳴らし方によって変わるのです!笑
なんかかっこいいようなそうじゃないような、なんとも言えない感覚をおぼえるのですが、、笑笑
こればっかりは行ってみて、近くの看板を参考にしてください!笑
うさぎ神社
続いては「うさぎ神社」です!
こちらはなんと、ウサギを御神体として祀った神社になっていまして、両脇には狛犬ならぬ「狛兎」が鎮座しています!
向かって左の後ろ足で立っているウサギが「富士見兎」、右の頭を伏せているウサギが「夢見兎」という名前で、
「富士見兎」の脚に触れることで「健脚」のご利益を、「夢見兎」の頭を撫でると「知恵授受」のご利益をいただくことができます!
特に「健脚」については、この山頂から繋がっている三ツ峠を歩く方々の安全祈願と健脚も祈ってくれているみたいですね!
ちなみに「三ツ峠」は、日本二百名山、山梨百名山、日本の新・花の百名山といった数々の「百名山」に選ばれており、「花の山」として親しまれています。
日本ウォーキング協会のコースにも認定されており、気軽に登山を楽しみながら富士山の眺めやたくさんの植物と触れ合うことができる名峰なのです!
時間があれば、ゆっくりまわってみたいものです!!
かわらけ投げ
最後3つ目が「かわらけ投げ」です!
まず、この「かわらけ投げ」というのは、何もここ天上山だけのものではありません。
「かわらけ」というのは漢字で書くと「土器」となり、「素焼きの陶器」のことを言います。
そして、特には「杯」のことを指します。
つまり、素焼きの杯を投げれば、それが「かわらけ投げ」になるということです。笑
実際、日本全国のロープウェイの頂上や山の山頂などには、こうした「かわらけ投げ」ができるところが数多く存在します。
そんな「かわらけ投げ」、もともとは厄除けなどの願掛けのために、高所から素焼きの器や酒器を投げていたという風習が始まりといわれています。
以後、「高所から素焼きの器を投げる」という形だけを残して、花見などでの余興となったり、こうして山々での願掛け行為の一つとなっているのです。
家族や友達ときてかわらけ投げをすれば、盛り上がること間違いなしですね!
神話『磐長姫と木花開耶姫』
ここで少し、この天上山に関わる神話のお話をさせてもらいます。
「なんで急に神話?!」と思ったあなた!それが普通の反応ですよ!笑
実はここ天上山(富士山パノラマロープウェイ)における「かわらけ投げ」は、一般的な「かわらけ投げ」とはちょっと違った意味があり、それに神話が関わっているのです。
まぁ雑学を増やす感覚で読んでみてください!!
というわけで、、
天上山には古くより、「磐長姫(いわながひめ)」と「木花開耶姫(このはなのさくやびめ)」という二神が祀られています。
この2人の女神は姉妹であり、磐長姫が姉で「縁結び」の女神、木花開耶姫が妹で「美」の女神とされています。
美の女神たる妹の木花開耶姫は絶世の美女として知られていたのに対し、縁結びの女神たる姉の磐長姫の見た目は、それはそれはヒドいものだったといいます。
そんな女神たちが暮らしていたある日、美の女神たる妹の木花開耶姫は、天照大神の孫の「邇邇芸命(ににぎのみこと)」に求婚されます。
天照大神といえば、日本神話における主神です。
そんな女神さまの孫からの求婚ですので、当然、姉妹の父である「大山津見神(おおやまつみ)」は大変に喜び、求婚された妹の木花開耶姫のみならず、姉の磐長姫も共に差し出します。
この際、姉妹の父大山津見神は
「姉の磐長姫を妻にすれば、子々孫々命が岩のように永遠となり、妹の木花開耶姫を妻とすれば、子々孫々木や花のように華やかに繁栄するだろう」
という誓約を邇邇芸命にたてます。
しかし邇邇芸命は、絶世の美女と謳われた木花開耶姫のみをめとり、見た目が醜い磐長姫は大山津見神のもとに返してしまいます。
邇邇芸命のこの行為に大山津見神は激怒し、「磐長姫を返してきたことで、子孫は短命になるだろう」と告げたのです。
この出来事がきっかけとなり、今日の人間の命は神さまたちから比べれば非常に短命なものとなったと伝えられているのです。
ちなみに、絶世の美女である木花開耶姫が「美の女神」なのはなんとなく想像がつきますが、磐長姫が「縁結びの女神」かどうかというのは、冷静に考えるとわからないですよね。笑
磐長姫が「縁結びの女神」だと考えられるようになったのは、
「磐長姫」は「石長比売」とも書かれ、
「石長」→「石(岩)のように長い」→「岩のように永遠」→「永遠に変わることのない女」→「永遠に心変わりすることがない女」
という解釈からだそうです。
こんな解釈から、「磐長姫」は恋愛の、そして縁結びの女神となったと考えられているのです…!
そして、そんな美と縁結びに関わる二女神に向けて願いを想いながら的にお皿を投げ当てるというのが
「天上山のかわらけ投げ」
というわけなのです!
お皿が的に当たれば恋の願いが叶う!ということですね!!

ちなみに蛇足の情報を一つ。笑
『日本書紀』では、邇邇芸命が磐長姫を大山津見神に返したその後、磐長姫は、邇邇芸命と彼の子を身ごもった妹の木花開耶姫をなんと呪っているのです!
これによって、その後の命、つまり、今の人間が短命になった、という流れになっています。
この神話から、実は磐長姫は「縁切り」の女神としても知られているのです…!
呪っておきながら「心変わりすることがない女」なんて、ちょっとゾッとする話ですよね。。笑
そんなわけなので、最後のは本当に蛇足でしたが(笑)、かちかち山こと天上山の観光案内はここまで!
このトピックの最後に、降りのゴンドラ待ちの際に撮った写真を載せておきます!

富士山パノラマロープウェイへのアクセス
では最後に、富士山パノラマロープウェイへのアクセスからご紹介!
基本的には、河口湖へ行くのとほぼ同じ道順となります。
自家用車で向かう場合は、
富士山パノラマロープウェイの専用駐車場を使うか、
道路を挟んで向かいにある河口湖畔の県営無料駐車場を利用します。
高速バスないしは電車を利用する場合は、
まず河口湖駅へ向かい、
そこから周遊バスか徒歩でロープウェイのゴンドラ乗り場へ行くことができます。
河口湖駅からは約15分の道のりとなります。
かちかち山の物語
では次に、有名なかちかち山の物語をご紹介します!
保育園や幼稚園などでも読み聞かせられる物語ですが、実は原作の民話と子供向けの童話では少し内容が違います!
いろいろと面白い部分なので、その違いに注目しながらご紹介していこうと思います!
原作の民話
昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいました。
老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌(はやしうた)を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまっていました。
業を煮やした翁(おきな)は、やっとのことで罠をつかってタヌキを捕まえます。翁は媼(おうな)に、捕まえたタヌキを「狸汁」にするように言って畑仕事に向かいました。
翁がいなくなるのを見るや、タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝うよ!」と媼に言って赦しを乞います。
タヌキが改心したと思った媼はタヌキの言葉を信じ、縄を解いて自由にしてやります。
しかしそれは、タヌキが媼を騙すために言った嘘だったのです。タヌキはそのまま媼を杵で撲殺し、その上で媼の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁(ばばぁ汁)」を作ります。
そしてタヌキは媼に化けると、帰ってきた翁にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰っていきました。タヌキが媼を殺して化けていたとわかった翁はタヌキを追いかけましたが、まんまとタヌキに出し抜かれ、逃げられてしまったのです。
この出来事ののち、翁は近くの山に住む仲良しのウサギに相談します。
「仇をとりたいが、自分には、かないそうもない」と。
事の顛末を聞いたウサギは翁に深く同情し、タヌキを成敗することを決意します。まず、ウサギは金儲けを口実にタヌキを柴刈りに誘いました。
その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った柴に火打ち石で火を付けます。
火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキが、ウサギに何の音なのか尋ねると、ウサギは「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いているんだ」と答えました。
結局タヌキはウサギの言葉を信じて燃える柴を背負い続け、その結果、背中に大やけどを負うこととなったのでした。後日、ウサギはタヌキのやけどを心配しているふうに装い、「良く効く薬だ」と言ってトウガラシ入りの味噌を渡します。
これを塗ったタヌキはさらなる痛みに散々苦しむこととなりました。タヌキのやけどが治ると、ウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出しました。
これがウサギが画策する最後の成敗です。ウサギは木の船と一回り大きな泥の船を用意し、どちらに乗りたいかとタヌキに選ばせます。
ウィキペディア かちかち山より(一部編集あり)
ウサギの目論見通り、欲張りなタヌキは「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選びます。
自身は木の船に乗ったウサギは、タヌキを沖へと連れ出します。
沖へ出てしばらく立つと、泥の船は海に溶けて沈んでいきます。
タヌキはウサギに助けを求めますが、逆にウサギに艪で沈められてしまうのでした。
こうしてタヌキは溺れて死に、ウサギは見事、媼の仇を討ったのでした。
子供向けの童話
むかしむかし、おじいさんの家の裏山に、一匹のタヌキが住んでいました。
タヌキは悪いタヌキで、おじいさんが畑で働いていますと、
「やーい、ヨボヨボじじい。ヨボヨボじじい」
と、悪口を言って、夜になるとおじいさんの畑からイモを盗んでいくのです。おじいさんはタヌキのいたずらにがまん出来なくなり、畑にワナをしかけてタヌキを捕まえました。
そしてタヌキを家の天井につるすと、
「ばあさんや、こいつは性悪ダヌキだから、決して縄をほどいてはいけないよ」
と、言って、 そのまま畑仕事に出かけてしまいます。おじいさんがいなくなると、タヌキは人の良いおばあさんに言いました。
「おばあさん、わたしは反省しています。もう悪い事はしません。つぐないに、おばあさんの肩をもんであげましょう」
「そんな事を言って、逃げるつもりなんだろう?」
「いえいえ。では、タヌキ秘伝のまんじゅうを作ってあげましょう」
「秘伝のまんじゅう?」
「はい。とってもおいしいですし、一口食べれば十年は長生き出来るのです。きっと、おじいさんが喜びますよ。もちろん作りおわったら、また天井につるしてもかまいません」
「そうかい。おじいさんが長生き出来るのかい」
おばあさんはタヌキに言われるまま、しばっていた縄をほどいてしまいました。
そのとたん、タヌキはおばあさんにおそいかかって、そばにあった棒でおばあさんを殴り殺したのです。
「ははーん、バカなババアめ。タヌキを信じるなんて」
タヌキはそう言って、裏山に逃げて行きました。
しばらくして帰ってきたおじいさんは、倒れているおばあさんを見てビックリ。
「ばあさん! ばあさん! ・・・ああっ、なんて事だ」
おじいさんがオイオイと泣いていますと、心やさしいウサギがやって来ました。
「おじいさん、どうしたのです?」
「タヌキが、タヌキのやつが、ばあさんをこんなにして、逃げてしまったんだ」
「ああ、あの悪いタヌキですね。おじいさん、わたしがおばあさんのかたきをとってあげます」
ウサギはタヌキをやっつける方法を考えると、タヌキをしばかりに誘いました。
「タヌキくん。山へしばかりに行かないかい?」
「それはいいな。よし、行こう」
さて、そのしばかりの帰り道、ウサギは火打ち石で『カチカチ』と、タヌキの背負っているしばに火を付けました。
「おや? ウサギさん、今の『カチカチ』と言う音はなんだい?」
「ああ、この山はカチカチ山さ。だからカチカチというのさ」
「ふーん」
しばらくすると、タヌキの背負っているしばが、『ボウボウ』と燃え始めました。
「おや? ウサギさん、この『ボウボウ』と言う音はなんだい?」
「ああ、この山はボウボウ山さ、だからボウボウというのさ」
「ふーん」
そのうちに、タヌキの背負ったしばは大きく燃え出しました。
「なんだか、あついな。・・・あつい、あつい、助けてくれー!」
タヌキは背中に、大やけどをおいました。
次の日、ウサギはとうがらしをねって作った塗り薬を持って、タヌキの所へ行きました。
「タヌキくん、やけどの薬を持ってきたよ」
「薬とはありがたい。まったく、カチカチ山はひどい山だな。さあウサギさん、背中が痛くてたまらないんだ。はやくぬっておくれ」
「いいよ。背中を出してくれ」
ウサギはタヌキの背中のやけどに、とうがらしの塗り薬をぬりました。
「うわーっ! 痛い、痛い! この薬はとっても痛いよー!」
「がまんしなよ。よく効く薬は、痛いもんだ」
そう言ってウサギは、もっとぬりつけました。
「うぎゃーーーーっ!」
タヌキは痛さのあまり、気絶してしまいました。
さて、数日するとタヌキの背中が治ったので、ウサギはタヌキを釣りに誘いました。
「タヌキくん。舟をつくったから、海へ釣りに行こう」
「それはいいな。よし、行こう」
海に行きますと、二せきの舟がありました。
「タヌキくん、きみは茶色いから、こっちの舟だよ」
そう言ってウサギは、タヌキを泥でつくった茶色い舟に乗るよう言って、自分は木でつくった舟に乗りました。
二せきの船は、どんどんと沖へ行きました。
「タヌキくん、どうだい? その舟の乗り心地は?」
「うん、いいよ。ウサギさん、舟をつくってくれてありがとう。・・・あれ、なんだか水がしみこんできたぞ」
泥で出来た舟が、だんだん水に溶けてきたのです。
「うわーっ、助けてくれ! 船が溶けていくよー!」
大あわてのタヌキに、ウサギが言いました。
「ざまあみろ、おばあさんを殺したバツだ」
やがてタヌキの泥舟は全部溶けてしまい、タヌキはそのまま海の底に沈んでしまいました。
福娘童話集より(一部編集あり)
この二つの『かちかち山』が、原作の民話とそれを子供向けに改変したものになります。
原作の方、結構生々しいですよね。。笑
ともあれ、この2つの文章をポイントごとに比べていきたいと思います!
婆汁について
原作は、
『狸が嫗(おばあさん)を殺し、「婆汁」を翁(おじいさん)に飲ませる』という、
有名ではありますが冷静に読むと中々グロテスクな展開をみせます。笑
まぁグロテスクがゆえに有名、なのかもしれませんが。。
対して子供向けの童話では、このシーンはカットされています。
まあ、、当然といえば当然でしょうか。笑笑
たぬきのおばあさん殺害
今回取り上げた子供向けの作品では、原作同様タヌキはおばあさんを殺しています。
しかも「撲殺」の部分もそのままと、なかなかに原作に忠実なのですが、、
子供向け童話の場合、作品によってはこのシーンは殺害ではなく「引っかいた」とか「怪我を負わせた」というように、かなりオブラートに包まれています。
このご時世、こういったところは厳しいのですね。。
おじいさんの行動
おばあさんがたぬきに殺されてしまった後の、おじいさんの行動も若干違います。
原作は、
翁が狸を追いかけ、兎に相談する
と、おじいさん自らが自発的な行動を起こしているに対し、
子供向け作品では、
「オイオイと泣いている」おじいさんのもとに「心優しい」ウサギが来てくれる
という描写になっています。
ここからは僕の考察になるのですが、
原作が書かれたのは「男尊女卑」の考え方が残る時代であり、「男は強いもの」として描かれているのだと考えました。
また、人間の翁から動物の兎に相談を持ちかけることで
「あくまで世の中の主体は人間である」
という考え方(人間中心主義とでもいいましょうか)もみえるように感じます。
対して、子供向けの童話あるある(だと僕は思っている)の
「おじいさん(やおばあさん)が困っているところに動物が来てくれる」
という描写は、
「動物への愛着が湧くような描写」といえるでしょう。
モラルや対人感情の構築に重要な時期にこうした作品に多く触れることは、のちの成長に影響していますからね。
さらに、先ほどご紹介した「タヌキがおばあさんを殺さない」子供向けの作品の場合、
ウサギの仕打ちはある意味、タヌキに対して非常に酷なものだと言えるでしょう。
「何もそこまでやらなくても。。」
「たぬきさんかわいそう!」
みたいな。
この「タヌキへの同情、哀れみ」が、「共感」や「慈悲深さ」といった感情を育むことに繋がるとも考えられますよね!
こう色々考えると、、
「教育も大変だな〜」
としみじみ感じてしまいますね!笑
ちなみに僕は、断然原作派です!!
物語というのは、何事も手が加えられていないものがやはり一番だと思いますからね…!!
太宰治の『カチカチ山』
さて、ここで「もう一つのかちかち山」であり、河口湖の天上山が「かちかち山」と呼ばれるきっかけとなった、太宰治の『御伽草子』に収録されている『カチカチ山』をご紹介します!
最初に、読んだ感想を述べてしまうと、太宰治の作品の捉え方や発想力に改めて感嘆しましたし、何よりこの『かちかち山』の物語がより面白く感じられるようになりました!!
作品自体は、太宰治が『かちかち山』の自身の解釈を物語調に書いていくというものになっています。
その中で太宰治は、「ウサギを女、タヌキを男」と解釈しているのですが、、
これがものすごくおもしろいのです…!!
ウサギのかなりねちっこくいやらしい復讐劇について、太宰は
武士道とか正々堂々とかの観念を既に教育せられている者には、この兎の懲罰はいわゆる「やりかたが汚い」と思われはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたというわけである。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
と表現し、同時に、
安心したまえ。私もそれについて、考へた。そうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だという事がわかった。この兎は男じゃないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
と言っています。
つまるところ、
太宰治は、兎を「十代そこそこの清らかな乙女(処女)」と表現したのです!
しかもその後に、
そうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
と書いています。
「清らかな乙女の純粋さほど残酷なものはない」
ということですね!笑
この辺りの太宰治の表現の仕方は、本当に「さすがっ!!!」という他ないですよね!
また、この処女ゆえの潔癖すぎる潔癖症の例えを「ギリシア神話のアルテミス」を例にして説明しているところも非常におもしろいところでした!
自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、さっと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
これは「アルテミスとアクタイオンの物語」ですね!
そんな乙女な兎に対して、狸はというと
けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。そうして、その結果は、たいてい決まっているのである。
疑うものは、この気の毒な狸を見るがよい。狸は、そのようなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せていたのだ。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
と書かれているように、
「清らかな乙女を恋い慕う愚かな男」
という表現をされています。笑
しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であったというにおいては、その悲惨のなり行きは推するに余りがある。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
とまでの言われようです。。
(仲間たちからも好かれていない、大食いでわからずやでつまらない奴、という感じですね。笑)
兎に芝刈りに誘われた狸の様子なんて
狸の働き振りを見るに、一心不乱どころか、ほとんど半狂乱に近いあさましい有様である。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』
と表現されています。
読みながら一人でにやけてしまいましたよ…!笑笑
「カチカチ」と狸が背負う草に火をつけるシーンもなかなかシュールですし、火傷を負った狸に唐辛子軟膏を塗るシーンでは、兎は商人のふりをして狸に近づき、これまたなかなかヒドいことをして差し上げています。。
「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違いありませんが、私は男の薬売りです。ええ、もう三十何年間、この辺をこうして売り歩いています。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、
「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、そうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよそう。糞面白くもない。しつこいじゃないか。まあ、そんなわけのものさ。」
としどろもどろのごまかし方をして、
「ところで、おれにその薬を少しゆずってくれないか。実はちょっと悩みのある身なのでな。」「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほっておいたら、死にますよ。」
「いや、おれはいっそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだっていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、――」
「何を言っていらっしゃるんです。生死の境じゃありませんか。やあ、背中が一ばんひどいですね。いったい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、
「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になってねえ、おどろきましたよ。」兎は思はず、くすくす笑ってしまった。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
狸は、兎がなぜ笑ったのかわからなかったが、とにかく自分も一緒に、あははと笑ひ、
なかなかに邪悪な兎と、愚かすぎる狸ですね。。
火傷と想像を絶する痛みから、持ち前のしぶとさで生還した狸が再び兎を訪ねた際などは、
「あら!」と兎は言い、ひどく露骨にいやな顔をした。
なあんだ、あなたなの? といふ気持、いや、それよりもひどい。
なんだってまたやって来たの、図々しいじゃないの、といふ気持、いや、それよりもなおひどい。ああ、たまらない!厄病神が来た!といふ気持、いや、それよりも、もっとひどい。きたない!くさい!死んじまえ!といふやうな極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えている。兎が、あら!と言い、そうして、いやな顔をしても、狸には一向に気がつかない。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
狸には、その、あら!といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから発せられた処女の無邪気な声の如くに思われ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めているのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」
とお見舞いも何も言われぬくせに、こちらから御礼を述べ、
とあります。
もう辛辣すぎます。。
そして、、
兎はもうさっきから、早く帰ってもらいたくてたまらなかった。
いやでいやで、死にそうな気持。何とかしてこの自分の庵の付近から去ってもらいたくて、またもや悪魔的の一計を案出する。「ね、あなたはこの河口湖に、そりゃおいしい鮒(ふな)がうようよいる事をご存じ?」
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
と、ラストシーンへとつながっていきます!
「ひゃあ!」
と脚下に奇妙な声が起る。
わが親愛なるしかして甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかったの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理というものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のような、いや、まるでわからん。お前はおれの女房じゃないか。やあ、沈む。少くとも沈むという事だけは眼前の真実だ。冗談にしたって、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるじゃないか。このお弁当箱には鼬(いたち)の糞ふんでまぶした蚯蚓(みみず)のマカロニなんか入っているのだ。惜しいじゃないか。
あっぷ!
ああ、とうとう水を飲んじゃった。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切っちゃいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切っても切れねえ縁えにしの艫綱(ともづな)、あ、いけねえ、切っちゃった。助けてくれ!おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋すじが固くなって、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違いすぎるのだ。年寄りを大事にしろ!敬老の心掛けを忘れるな!
あっぷ!
ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持っている櫂をこっちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いじゃないか、櫂でおれの頭を殴りやがって、よし、そうか、わかつた!お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」
と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかった。ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれっきり。兎は顔を拭いて、
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
「おお、ひどい汗。」と言った。
、、、もはや悪女、というか、サイコパスです。笑
狸のセリフのみですべての“コト”が終えていくのも、兎が淡々と狸殺害のプロセスをふんでいるようで、サイコパス感をより強く感じます。。笑笑
ともあれこうして物語が終わりを迎え、太宰はこう締めくくっています。
ところでこれは、好色の戒めとでもいうものであろうか。
十六歳の美しい処女には近寄るなという深切な忠告を匂わせた滑稽物語でもあろうか。
或いはまた、気にいったからとて、あまりしつこくお伺いしては、ついには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭うから節度を守れ、という礼儀作法の教科書でもあらうか。
或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌いに依って世の中の人たちはその日常生活において互いに罵り、または罰し、または賞し、または服しているものだという事を暗示している笑話であらうか。いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまわの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
曰く、惚れたが悪いか。
古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。
女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。
作者の、それこそ三十何年来の、頗る(すこぶる)不振の経歴に徴(しる)して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君においても。
青空文庫 太宰治 『お伽草子』(一部編集あり)
太宰治はこの物語を通じて、ある種の風刺、ないしは世の教訓を表現したのでしょう。
「色恋沙汰に目が眩んでいるようでは、破滅をもたらすだけだ」
そんなメッセージを感じます。。
まとめ
さてさて、今回は「観光地として」「民話として」そして「太宰治の作品として」、3つの『かちかち山』をご紹介しました!
個人的には神話も含めいろいろなお話(という名の雑学)を知ることができたので、とても楽しかったですね!!
このような、
「観光地と文学の関係」や「観光地の歴史」
に触れておくと、
より一層その地に愛着が湧きますし、訪問の際によりより一層楽しめるのではなかろうかと思います!!
というか、僕はそうなのでおすすめします!!笑
ですのでぜひみなさんも、
ご自身でその地について少し調べてから訪問してみてくださいね!!
調べないでいくのと比べると、それはもうより楽しくおもしろく、そして有意義な時間となることは保証しますよ!!