みみなさんこんにちは!旅狼かいとです!
今回ご紹介するのは、「奈良の大仏」で世界的にも有名な東大寺です!
奈良と聞いて真っ先に「大仏」を思い浮かべる人も多いはず。修学旅行で訪れる中学生・高校生から、大人になってもう一度行ってみようという方まで、奈良でいちばん名前を知られているお寺だと思います。
ただ、実際に行ってみると「大仏殿だけ見て帰ってしまった」という話をよく聞くのですよね。実は東大寺は、大仏殿の外側にこそ見どころが残っているお寺なのです。
そんなわけでこの記事では、次の4つをお届けします。
・東大寺で絶対に見ておきたい見どころ9つ
・2026年時点の拝観料・拝観時間
・近鉄奈良駅・JR奈良駅からのアクセスと、所要時間の目安
・「大仏がなぜ造られたのか」という歴史のお話
先に結論!東大寺は「2時間」あると気持ちよく巡れる!
細かい話に入る前に、先に要点だけお伝えしておきますね!
| 内容 | |
|---|---|
| 拝観料(大仏殿) | 中学生以上800円/小学生400円 |
| 大仏殿の拝観時間 | 4〜10月 7:30〜17:30/11〜3月 8:00〜17:00 |
| 法華堂・戒壇堂 | 通年 8:30〜16:00 |
| 所要時間の目安 | 大仏殿だけなら40分/二月堂まで含めて約2時間 |
| アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩約20分、バスなら「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分 |
| 拝観休止日 | なし(年中無休) |
大仏殿を出たあと、右手の坂をのぼって二月堂まで行く。ここまでやって、はじめて東大寺を見たことになると言っても過言ではありません!
二月堂は拝観無料です。しかも奈良市街を一望できますので、ここを外すのは正直もったいないのですよね。初めてなら「南大門→大仏殿・大仏→二月堂」まで歩くと、東大寺のおもしろさがかなり見えてくると思いますよ!
東大寺の見どころ9選
大仏(盧舎那仏坐像)

東大寺を語る上で外せないのが、なんといっても大仏ですよね!!
現代では「奈良の大仏」という名称がすっかり定着している東大寺の大仏ですが、正式な名前は「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」あるいは「東大寺盧舎那仏像」になります。
「盧舎那仏」という名前は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」を略したもので、実在した”人間としての”ガウタマ・シッダールタ(釈迦、ブッダ)を超越した”真理そのものとしての”釈迦、あるいは、色も形もない”真実そのもの”を指し、「光明遍照(こうみょうへんじょう)」という言葉を意味するといいます。(「光明遍照」は「世界を照らす仏」や「光輝く仏」を意味するそう。)
そして、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲を表現しながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っているとされています。
また、この盧舎那仏の造立に尽力したということで、東大寺では
・聖武天皇(言い出しっぺ)
・良弁(東大寺初代別当)
・行基(国民に大仏造立の理解を広めた)
・菩提僊那(大仏に魂を宿す開眼会を取り仕切った)
の4人を「四聖(ししょう)」と呼び、崇敬の対象としていることでも知られていますよ!
大仏殿(金堂)

創建から二度の焼失にあったものの、いまだ世界最大級の木造建築として知られるのが、東大寺の大仏殿(金堂)ですね!
実は二度目の焼失後、江戸時代に再建された際に、建物の幅が11間(86m)から7間(57m)になってしまっているため、奈良時代に造られた際のものはさらに大きなものだったと考えられています。そう考えると、聖武天皇の”本気度”が伺えますよね…!
ここではせっかくですので、大仏殿の二度の焼失についても少しお話していこうと思います。
一度目の焼失

一度目の焼失は、1180年(治承4年)に平重衡(たいらのしげひら)の軍勢によって行われた「南都焼討」によるものです。
平重衡は平家の最盛期をつくり上げた平清盛の五男であり、南都焼討は、平氏政権に反抗的な態度を取り続けた寺社勢力の僧兵たちの討伐が目的で行われました。
この焼き討ちによって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまいましたが、その後、鎌倉時代に重源上人によって再興されました。
二度目の焼失

東大寺の二度目の焼失は、1567年(永禄10年)に起きました。
「永禄の変」とその後の政権争い「三好・松永の乱」の一局面「東大寺大仏殿の戦い」で、東大寺はわずかな建物を残して再度焼失してしまいます。
永禄の変とは、当時、室町幕府の権力を実質的に握っていた三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)と松永久秀が、将軍権力の復権に尽力していた13代将軍「足利義輝」を暗殺した事件で、「東大寺大仏殿の戦い」は、義輝亡き後の権力を争った三好三人衆と松永久秀の対立と武力衝突を指します。
その争いの最中、三好三人衆軍が本陣を陣取ったのが東大寺であり、そこを攻めたのが松永久秀の軍でした。
どうやら「この際の焼き討ちは不慮の事故であった」という説もあるそうですが、いづれにしても、この東大寺の二度目の焼失によって、大仏は頭部を失い、大仏殿は完全に焼失してしまいます。しかも、その後の戦国の乱戦の影響で資金が十分に集まらず、最終的に復興されたのは、1709年(宝永6年)に江戸幕府によって援助されてのときでした。
この時に再建された姿を明治時代~大正初期に修復したものが、現在の東大寺大仏殿と大仏となっています。
ちなみに、、三好三人衆と松永久秀の対立の最中、足利義昭を擁して京都に上洛したのが、織田信長です。こう見ると、、結構歴史って繋がってるんだなぁと感じておもしろいですよね…!
南大門

天平期の創建時に建てられた最初の南大門は平安時代に大風で倒壊しており、現在の南大門は鎌倉時代に、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したものになります。
屋根裏まで達する大円柱18本は21m、門の高さは基壇上25.46mを誇り、これは日本最大の山門となります。まさに、”大仏が坐する東大寺にふさわしい山門”ということですね!
法華堂(三月堂)

東大寺の建築物のなかでは最も古く、寺伝によると、東大寺創建以前にあった金鍾寺の遺構とされるのが「法華堂」です。
不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂であり、旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われることから、法華堂、あるいは三月堂と呼ばれるようになったといいます。
法華堂最大の見どこは、安置されている本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰の像でしょう。
まさに天平彫刻の宝庫と呼べるこの場所もまた、大仏殿に隠れた名所、というわけですね!
東大寺の観光地情報


拝観時間(大仏殿・法華堂・戒壇堂)
4月~10月:7:30~17:30
11月~3月:8:00~17:00
料金
大人・中高校生:600円
小学生:300円
アクセス
市内循環バス 東大寺大仏殿・春日大社前 下車から徒歩5分
近鉄奈良駅から徒歩約20分
有料駐車場 奈良県営大仏殿前駐車場もあり
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