奈良県の中心地に約660ヘクタールという広大な敷地面積を有する奈良公園は、東大寺や興福寺、春日大社をはじめ、国立博物館や正倉院などなど、数多くの貴重な歴史的建造物や資料が集まる場所であると同時に、雄大で豊かな自然が広がっている都市公園でもあります。

中でも、東大寺の大仏と公園を行き交う鹿が世界的にも非常に有名で、奈良公園は「大仏と鹿と緑」で代表されると言っても過言ではありません。

そんな、古都奈良の顔であり、風情あふれる歴史と自然を感じられる奈良公園について、今回は東大寺や興福寺、春日大社などの見どころを見出し形式で交えてご紹介していきます!

 

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奈良公園の歴史

まずは、今回の記事の中心となる奈良公園についてご紹介していきましょう!

奈良公園が正式に都市公園として開園されたのは、明治13年(1880年)2月14日になります。

正式な範囲は、都市公園「奈良県立都市公園 奈良公園」としてや、文化財保護法に基づいて指定された「名勝奈良公園」としてによって若干の変化はあるものの、一般的に「奈良公園」として認知されている範囲は、猿沢池や荒池、春日野などの平坦地、若草山や花山、芳山(ほやま)などの山間部、東大寺や興福寺、春日大社などの社寺境内地、そして、それら周辺地域一帯を指すことが多く、その総面積は660ヘクタールにも及ぶとされています。

奈良公園開園当初は、当時官有地であった興福寺境内を公園としただけのものでしたが、その後東大寺境内や春日野、若草山などを次々に編入していき、現在の規模となりました。

現在の奈良公園の地は、古代より自然豊かな景勝地・散歩道であったとされており、春日野や春日山の風景は奈良時代末期に編纂されたとされる歌集『万葉集』に収録されている多くの歌に詠われるなど、平城京貴族たちの絶好の遊楽の地として親しまれていたといいます。

近世に入ると、中国の山水画の伝統的な画題となっていた「瀟々八景(しょうしょうはっけい)」になぞらえ、日本各地で「八景」の名所が選ばれるというある種のムーブメントが盛んとなり、奈良の「南都八景」は日本で最初に選定された八景となりました。

その中には、現在の奈良公園内で見られるものが数多く含まれており、長きに渡りその風景が人々に愛されてきたことがわかります。

※奈良の南都八景
・東大寺の鐘
・春日野の鹿
・南円堂の藤
・猿沢池の月
・佐保川の蛍
・雲井坂の雨
・轟橋の旅人(行人)
・若草山の雪

そして、近代に入ると国内外の数多くの文化人が奈良を訪れ、奈良公園の文化と自然が絶妙に交わる景観の美しさやその稀少性についての記述を残していきました。

 

 

奈良公園の鹿

奈良公園といえば、「鹿」ですよね!!

もはや公園と同体、なくてはならない存在となっている奈良の鹿について、お次はご紹介です!

奈良公園に生息する鹿は、完全に人間馴れしているもののれっきとした野生の鹿であり、国の天然記念物に指定されている所有者のいない野生動物になります。

奈良の鹿は古代より住み着いていたとされており、その様子は、春日山同様『万葉集』の詩歌にも詠まれているほど。

そして、万葉集編纂と同時期に創建されたとされる春日大社の主神「建御雷命(たけみかづちのみこと)」が、鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたと伝えられたことから、奈良の鹿は「神鹿(しんろく)」と呼ばれ信仰の対象となっていきました。

春日大社は中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために建てられた神社であったため、時の権力一族であった藤原氏は奈良の鹿を積極的に崇拝の対象とし、その結果人間は、奈良の鹿を「神の使い」として丁重に扱ってきたのです。

その後、奈良の鹿は興福寺からも神鹿として厳格に保護されるようになり、傷つけた場合は極端とも言えるほどの処罰や処刑の対象になったといわれています。

この過保護すぎる奈良の鹿の保護は江戸幕府の方針によって緩和され、この際、現代でも行われてる行事である「鹿の角切り」が行われ始めたとされています。

明治時代から戦後の混乱期にかけては、農作物への被害や住民とのトラブル、情勢悪化などによって頭数の激しい増減を繰り返しますが、近代に入って社会が安定してくると、市民の鹿への愛着と共存意識の高まりによって頭数が安定し、現在では奈良のマスコット的な存在となっています。

 

奈良公園の鹿と戯れよう!

奈良の鹿は鹿せんべいをあげるとお辞儀をすると言われており、それは古代の人々が神鹿に対してお辞儀(挨拶)をして信仰心を表していたことからという説があるそうですよ!

ともあれ、鹿せんべいをあげると愛らしくむしゃむしゃと食べてくれる奈良の鹿ですが、注意点もいくつかあります。

まずは、人馴れしているといっても野生であることを忘れてはいけません

基本的には人に対してフレンドリーな鹿たちも、追いかけたりいたずらをされるとさすがに怒ります

また、鹿せんべいをすぐにあげずに焦らしても怒るそうです

そして、5月~7月の出産期と9月~11月の発情期は気性が荒くなっているので注意が必要です。

まぁこのへんは僕たち人間と同じですね。

自分がされて嫌なことは人にしない。鹿にもしない。これ大事ネ。

と、、ここから少し真面目モードに戻すと(笑)、鹿せんべい以外のものをあげると栄養バランスが崩れたり病気のもととなりますので、あげないようにしてくださいね

また、奈良の鹿は国の天然記念物に指定されていますので、許可なく捕獲や殺傷することは刑罰に当たる可能性もあります。
(まぁ刑罰うんぬんの以前に、動物たちに対してどう接するのかなんて、本来言うまでもないはずなのですが。。)

尊い命を前にしているということを忘れることなく、鹿もみんなも楽しくなるよう接することを心がけましょう!!

 

 

奈良公園の観光案内

入園時間・入園料

365日24時間、常に無料開放!

※若草山入山には中学生以上150円・3歳以上80円が必要なほか、各寺院・庭園への入場は個別に拝観料が必要です。

紅葉の見頃

色づき始め:10月下旬

見頃:11月上旬~12月上旬

桜の見頃

3月下旬~4月下旬

アクセス

近鉄奈良駅から徒歩約5分

JR奈良駅から徒歩約20分

公園内・周辺各所に県営駐車場完備

駐車場について、詳しくはこちらの公式サイトをご覧ください

 

 

東大寺

ここからは、奈良公園内の各観光地・名所についてご紹介していきます!

まずは、何と言ってもここ、東大寺についてから!!

奈良の大仏・造立までの歴史

大仏、そして東大寺(大仏殿)が建立されることとなる時代は、聖武天皇の治世でした。

この時代は、干ばつや飢饉、大地震といった災害や疫病(天然痘)が多発した時代であり、聖武天皇は仏教に深く帰依していたといいます。

そんな混乱の時代の中、聖武天皇と光明皇后の間に皇太子基親王が産まれます。

これが希望の光になるかと思われた矢先、基親王は1歳の誕生日すら迎えることなく亡くなってしまいます。

聖武天皇はすぐに親王の菩提を弔うために金鍾寺(こんしゅじ)のちの東大寺の初代別当となる僧良弁(りょうべん)をはじめとする9人の僧を住まわせました。

聖武天皇はこれに続き、天平13年(741年)に「国分寺建立の詔」を発し、これを受けて金鍾寺は大和国の国分寺と定められ、「金光明寺」という名前に改められました。

この頃から聖武天皇は華厳経の教えを学ぶようになり、この教えのもと、天平15年(743年)10月15日に「大仏造顕の詔」を発します。

大仏造立は初め、当時聖武天皇が住んでいた恭仁京の紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)で進められていましたが、都が平城京に戻ることとなり、大仏造立は亡き息子である皇太子基親王を弔った金光明寺で改めて行われることとなりました。
(この経緯から、金光明寺は大仏殿東大寺の前身の寺院であると言われています。)

聖武天皇は、国の安泰と国民の幸福を願って大仏造立・大仏殿建立という大事業を推し進めましたが、それは思想の話。

現実の日本では、過去に例を見ない超大規模な建設事業によって国費が圧迫され、財政状況は悪化の一途を辿っていきます。

当然しわ寄せは国民に及ぶこととなり、ただでさえ生活が困窮していた平城京では浮浪者や餓死者が後を絶たなかったといいます。

そんな中、聖武天皇は大仏完成のための民衆の支持を得るために、国民から絶大な支持を集めていた僧行基を大僧正として、大仏造立の実質的な責任者に招聘します。

行基の活躍もあってなんとか大仏の鋳造が完了し、天平勝宝4年(752年)、天竺(インド)出身の僧侶菩提僊那(ぼだいせんな)を導師として大仏開眼会(かいげんえ)が行われました。

ちなみに、大仏殿の建設工事が始まったのはその後のことで、竣工したのは聖武天皇が崩御してから2年後の天平宝字2年(758年)のことでした。

 

奈良の大仏について

現在では奈良の大仏という名称がすっかり定着している東大寺の大仏ですが、正式な名前は「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」、あるいは「東大寺盧舎那仏像」になります。

盧舎那仏」という名前は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」を略したもので、実在した”人間としての”ガウタマ・シッダールタ(釈迦、ブッダ)を超越した”真理そのものとしての”釈迦、あるいは、色も形もない”真実そのもの”を指し、「光明遍照(こうみょうへんじょう)」という言葉を意味します(「光明遍照」は「世界を照らす仏」や「光輝く仏」を意味するそう)。

そして、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲を表現しながら、人々が思いやりの心で繋がり、絆を深めることを願っているとされています。

また、この盧舎那仏の造立に尽力したということで、東大寺では、聖武天皇(言い出しっぺ)、良弁(東大寺初代別当)、行基(国民に大仏造立の理解を広めた)、菩提僊那(大仏に魂を宿す開眼会を取り仕切った)の4人を「四聖(ししょう)」と呼び、崇敬の対象としています

 

東大寺の歴史

東大寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といい、上述したとおり、聖武天皇の皇太子基親王を弔うために建てられた金光明寺が元になっています。

約40年という歳月をかけて完成した東大寺の伽藍は、完成当初は、南北方向に南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が一直線に並び、講堂の北に”コ”の字形に並んだ僧房が、僧房の東には食堂(じきどう)があり、南大門と中門の間には、東西に対となった2基の七重塔(高さは70メートルを超えていたとも)が建っていたとされています。

奈良時代、平城京では「南都六宗」や「奈良仏教」と呼ばれる6つの宗教、華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗が栄えていました。

当時の日本における仏教は「宗派」というよりは「学派」に近く、各寺院では複数の宗派を兼学することが普通のことでした。

そんな平城京の仏教において、東大寺は中心的存在として「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には六宗それぞれの経論を納めた「六宗厨子」があったといいます。

平安時代に入ると、空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗と最澄が伝えた天台宗をも加えた「八宗兼学の寺」とされました。

東大寺は一時期、桓武天皇の南都(元平城京の地を後年こう呼んだ)仏教の抑圧策によって勢力が縮小し、さらに火災や落雷、暴風雨によって主要建造物の焼失・倒壊が相次ぎますが、皇族や貴族たちの崇敬を受けることで南都の有力権門として全国的に知れ渡るようになり、多数の僧兵を抱え、お隣さんの興福寺などとともに力を持つようになります。

以降度々起こる自然災害や火災によって被害を受けては再建・修理、そして造営を繰り返していた東大寺でしたが、治承4年12月28日(1181年1月15日)、平清盛の命を受けた平重衡(しげひら)ら平氏軍によって、大仏殿をはじめとする伽藍の大半が焼き討ちにあってしまいます。

これは、のちに「南都焼討」と呼ばれることとなる、当時平氏政権への反発を強めていた東大寺や興福寺などの南都の仏教寺院を平氏軍が焼討にするという事件でした。

この時、大きな被害を被った東大寺の大仏や諸堂の再興にあたったのが、当時61歳だった僧俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)でした。

大勧進職に任命された重源の精力的な活動と、源頼朝からの強大な支援協力を得て、東大寺は復興を果たします。

こうして東大寺は、鎌倉時代には再び力を取り戻し、二度目の隆盛を迎えることとなります。

しかしそんな安泰は長くは続かず、戦国時代に入ると南都は度々戦場と化し、東大寺も甚大な被害を受けることとなります。

さらには暴風雨などの自然災害の被害も受け、本尊の盧舎那仏は仮修理を受けただけの状態で100年以上もの間、雨ざらしの状態で放置されてしまいます。

その後、江戸幕府の協力のもと大仏は元禄4年(1691年)に修復され、再建大仏殿は、僧侶公慶の尽力や、江戸幕府5代目将軍徳川綱吉や母の桂昌院をはじめとする多くの人々の寄進によって宝永6年(1709年)に完成しました。

江戸時代に建てられたこの3代目の大仏殿が今日まで現存するものであり、高さと奥行きは奈良時代に創建されたものとほぼ同じですが、東西の幅は創建時のものから約3分の2に縮小されています。

また、創建時は建てられていた講堂や食堂、東西の2基の七重塔などは中世以降は結局再建されることがなく、現在は各建物跡に礎石や土壇のみが残っているだけの状態となっています。

近世・近代では華厳経の大本山として奈良の地に立ち続け、これら歴史や大仏・大仏殿をはじめとする伽藍の歴史的価値から、東大寺は1998年12月に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました

ちなみに、東大寺の大仏殿(金堂)は「世界最大の木造建築」とよく表記されていますが、20世紀以降にはアメリカ・オレゴン州のティラムーク航空博物館(Tillamook Air Museum)や、スペイン・セビリアのメトロポール・パラソル(Setas de Sevilla)など、東大寺大仏殿よりも大きな木造建築物は建てられているため、実際はその座を明け渡しているのです…。

しかーーし!!

木造”軸組”建築としては、東大寺大仏殿は現在でも世界最大!!

古代から発達してきた日本の伝統技術である木造軸組構法は、まだまだ世界に誇れる素晴らしい技術というわけですね!!

 

東大寺の観光案内

拝観時間(大仏殿・法華堂(三月堂)・戒壇堂)

4月~10月:7:30~17:30

11月~3月:8:00~17:00

料金

大人・中高校生:600円

小学生:300円

アクセス

市内循環バス 東大寺大仏殿・春日大社前 下車から徒歩5分

近鉄奈良駅から徒歩約20分

有料駐車場 奈良県営大仏殿前駐車場もあり

 

 

興福寺

興福寺の歴史

興福寺は、中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに「大化の改新」における中心人物として知られる中臣鎌足が晩年重い病気を患った際、鎌足の夫人である鏡女王(かがみのおおきみ)が夫の回復を祈願し、鎌足が発願した本尊の釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営した「山階寺(やましなでら)」が起源とされる寺院です。

天智天皇8年(669年)に山背国山階(現在の京都府京都市山科区)に建てられた山階寺は、藤原京への移設を経て、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子である藤原不比等が平城京の左京(現在興福寺が立つ場所)に移転して「興福寺」と名付けられました。

平安時代に入ると、興福寺は天皇をはじめとする公家や貴族たちからの保護を中心的に受けたとされる「七大寺」に数えられ、さらに、興福寺に縁の深い藤原鎌足・不比等を祖先とする藤原氏が摂関政治によって政権を握ったため、強大な力を持つようになります。

結果興福寺は、藤原氏の氏神「春日社」の実権を握るようになり、大和国の荘園のほとんどを掌握し、事実上の大和国国主となりました。

その勢力の大きさや僧兵軍団の強さは、当時の人々が畏怖の念を込めて比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と呼んだほど。(「南は興福寺、北は比叡山」みたいなかんじ。)

以降、度々見舞われた火災や自然災害などによって被害を被ることになった興福寺。

特に、東大寺同様、治承4年(1180年)の治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡の「南都焼討」によって甚大な被害を被り、大半の伽藍が焼失してしまいます。

しかし、倒壊・焼失のたびに多くの支援を受けて再建・復興を遂げ、興福寺の隆盛は鎌倉時代・室町時代までも続き、織田信長・豊臣秀吉が天下を握った安土桃山時代になって次第に勢力が衰え、落ち着いていくことになります。

その後江戸時代を経て、慶応4年(1868年)に出された「神仏分離令」を契機に全国に広まった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の動きによって、興福寺はまたも大打撃を被ることとなります。

興福寺の子院(塔頭)はすべて廃止となり、寺領は1871年(明治4年)の社寺上地令で没収され、僧は春日社の神職となってしまいます。

さらに、境内は塀が取り払わたことで奈良公園の一部となってしまい、各別当の跡地には多くの現代建築が立ち並んでしまいました。

このような事態の結果、興福寺は廃寺同然の状況にまで追い込まれてしまうのですが、1897年(明治30年)に文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の伽藍も修復・再建がなされ、徐々に寺観が整備されていきました。

今日の興福寺の姿は、かつて隆盛を極めた藤原氏の寺院の面影を感じさせつつも、明治時代の”悲劇”を色濃く残すものとなっており、寺に塀が無く公園の中に寺院があるという、いわゆる「信仰の動線が欠落している」状態なのは、まさに廃仏毀釈の運動の名残と言えるのです。

 

興福寺の観光案内

拝観時間

境内自由(奈良公園と一体のため)

興福寺国宝館・東金堂・中金堂

9:00~17:00(それぞれ入場は16:45まで)

料金

興福寺国宝館

大人(大学生以上):700円

中高生:500円

小学生:300円

東金堂

大人(大学生以上):300円

中高生:200円

小学生:100円

興福寺国宝館・東金堂共通券

大人(大学生以上):900円

中高生:700円

小学生:350円

中金堂

大人(大学生以上):500円

中高生:300円

小学生:100円

アクセス

近鉄奈良駅東改札から徒歩7分

JR奈良駅から徒歩18分

奈良交通市内循環系統バス 県庁前 下車からすぐ

 

 

春日大社

春日大社の歴史

春日大社は、晩年「藤原」の姓を賜ることとなった中臣鎌足を祖とする中臣氏の氏神を祀るために、768年に創建された寺院になります。

春日大社の始まりは、平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏(中臣氏)の氏神である鹿島神(武甕槌命(たけみかづちのみこと))を春日の御蓋山(みかさやま)の山頂である浮雲峰(うきぐものみね)に遷して祀り、「春日神」と呼ぶようになったことに由来しているとされています。

ちなみに春日大社の社伝では、不比等が武甕槌命を御蓋山に祀ったのちの神護景雲2年(768年)、藤原永手が、鹿島の武甕槌命、下総国香取の経津主命(ふつぬしのかみ)、河内国の枚岡(ひらおか)神社で祀られていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)と妻の比売神(ひめがみ)の4神を併せ、現在の春日大社が建つ御蓋山の地に社殿を造営したことをもって、春日大社の創祀としています。

藤原氏の氏神を祀っているということもあり、藤原氏の繁栄とともに春日大社も隆盛していきます。

平安時代初期には、国家行事としての位置付けがなされた祭礼である官祭(公祭とも)が行われるようになり、春日大社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭と石清水八幡宮の石清水祭とともに、「三勅祭」の一つに数えられています。

春日大社は、同じく現在の奈良公園に建ち、藤原氏との縁が非常に強い「興福寺」との関係が深く、神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体となっていきます。

これは、平安時代中期から興福寺衆徒などによって度々行われるようになった強訴(この場合は、僧兵や神人たちが仏神の権威を誇示し、集団で朝廷や幕府に対して訴えや要求をすること)の際に、「春日神木(春日大社の榊の枝に春日神の御神体(依代)である神鏡を付けて注連をかけた神木)」を掲げて上洛する「神木動座」が行われることが多かったことからもうかがい知ることができます。

また、春日大社の特徴としてあげられる代表的な行事として、「式年造替(しきねんぞうたい)」があります。

これは、創建以来ほぼ20年に一度、本殿の位置を変えることなく建て替えや修繕をし、御神宝の新調を行うもので、これによって創建当社から変わらない、美しい朱色と白い壁に彩られた檜皮屋根の本殿や社殿を今でも見ることができ、境内には古代から続く春日大社ならではの清々しくも尊厳ある”気”が満ちるといいます。

加えて、平安時代以降全国から奉納されたおよそ3000基もの燈籠もまた、春日大社ならではの篤い信仰の広がりを示しており、現存する室町時代以前の灯篭の6割以上が春日大社にあると言われるほどの歴史的価値も持つものなのです。

そんな春日大社は、1998年(平成10年)12月、春日山原始林とともに「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されました。

 

春日大社の観光案内

拝観時間

4月~9月:6:00~18:00

10月~3月:6:30~17:00

本殿前特別参拝:9:00~16:00

国宝殿:10:00~17:00(入館は16:30まで)

休日

終日:3月8日頃~3月13日、12月20日~1月7日、成人の日

午前中
:毎月1日、11日、21日
 節分の日、2月17日、3月14日、3月15日、春分の日、4月3日、5月第3金曜日、5月5日、5月10日、8月7日、8月15日、秋分の日、10月9日、11月3日、11月23日、12月17日

料金

境内自由

本殿前特別参拝

初穂料500円

国宝殿

一般:500円

大学生・高校生:300円

中学生・小学生:200円

アクセス

奈良交通バス 春日大社本殿 下車からすぐ

奈良交通市内循環バス 春日大社表参道 下車から徒歩約10分

近鉄奈良駅から徒歩約25分

 

 

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依水園

依水園について

依水園は、奈良の中心地に広がる奈良公園随一の観光スポットである東大寺南大門の真西に位置する、2つの庭園からなる池泉回遊式庭園です。

アメリカの日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』(The Journal of Japanese Gardening、略称JOJG)における日本庭園ランキングで堂々の7位にランクインしたこともあり、外国人観光客が多いことでも有名ですね!

依水園は、隣に佇む同じく日本庭園の「吉城園」とともに、元々は興福寺の塔頭の一つであった摩尼珠院(まにじゅいん)の庭園だったとされています。

奈良の地は、現代にまで続く茶道の原形が興った地と考えられており、特に摩尼珠院のあたりは茶道が盛んだった地域であり、茶室が建てられた依水園や吉城園は茶道の発展に深く関わった庭園であるとも言われています。

依水園の2つの庭園は、どちらも古来よりこの地を流れ人々の文化を支えていた吉城川の流れをうまく取り入れながら、それぞれが異なる景観を見せてくれるのが特徴の一つです。

前庭は、奈良晒職人であった清須美道清が江戸時代初期に作庭したもので、自身が吉城川のそばでお茶を嗜むための茶室出会った「三秀亭」がシンボルとなっています。

水音を楽しむことができるほど静かでゆったりとした時間を味わうことのできる、”静寂の別世界”を感じることができますよ!

一方後園は、明治時代に呉服商で名を馳せた実業家関藤次郎が造った築山式の池泉回遊式庭園で、庭のデザインは裏千家(茶道の流派の一つ)の12世である又妙斎宗室によるもの。

空の見え方まで計算されているとも言われる開放的な庭園は、若草山や春日山、御蓋山に東大寺南大門までもを借景とし、“寧楽の都”をモチーフとしたという、華やかで贅沢な空間を味わうことができました!

 

依水園の観光案内

拝観時間

9:30~16:30(入園は16:00まで)

休園日:毎火曜日
(ただし、4,5,10,11月は無休 / 火曜日が祝日の場合は開園し、翌日休園)

料金

一般:900円

大学生:810円

中高生:500円

小学生:300円

障害者手帳提示の方:500円(付き添いは1名無料)

すべて寧楽美術館入館料も含める

土曜日のみ、保護者同伴の小中学生は無料

紅葉の見頃

色づき始め:11月中旬

見頃:11月下旬

アクセス

近鉄奈良駅より徒歩15分

東大寺南大門から徒歩7分

 

 

吉城園

吉城園について

奈良公園の一区画に佇む名勝「依水園」の南西に位置し、奈良時代末期の歌集『万葉集』でも多くの歌が詠まれた吉城川(宣寸川)に隣接している吉城園(よしきえん)

『興福寺古絵図』によると、吉城園の歴史は、依水園とともに興福寺の元子院(塔頭)である摩尼珠院(まにじゅいん)の庭園だったことに由来するとされています。

明治時代に入ると、吉城園は民間の所有となり、大正8年(1919年)に現在見ることのできる建物と庭園が造られました。

その後企業の迎賓施設の時代を経て奈良県の所有となり、1989年(平成元年)4月1日に一般に向けて開園された庭園となります。

吉城園の庭園は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなっており、
池の庭は、江戸時代からの自然の起伏や曲線を巧みに取り入れ、庭園のシンボル的な存在である旧正法院家住宅と一体となるように造られているのが特徴です。

苔の庭には茅葺屋根の離れ茶室が置かれ、その周囲杉苔が覆い植えられたもみじが彩るつくりとなっています。

実際に行ってみると、庭園全体が素朴で落ち着いた雰囲気を醸し出しており観光客もあまり多くないことから、日本文化の一つである”侘び寂び”をゆったりと感じることのできる庭園となっていましたよ!

また、近年この吉城園を中心として、奈良公園の文化と自然を融合させ、地区の保存管理や活用を目指す事業 「森トラスト」が行われており、中でもホテル誘致が話題となっています。

僕が吉城園へ行った際の受付の方も、2020年に旧正法院家住宅がホテルになるかもしれないとおっしゃっていたので、これから注目が集まる場所となる可能性もあります。

人が少ないからこそ味わえる”上質な雰囲気”が吉城園の魅力の一つだと僕は感じたので(吉城園からすれば人はたくさん来てほしいですだろうけれど…笑)、まだまだ”穴場”な今、ぜひ日本・奈良の古き良き文化を感じることができる閑静な雰囲気を味わってみてくださいね!

 

吉城園の観光案内

拝観時間

9:00~17:00(入園は16:30まで)

(11/10~12/2は7:30~、10/21~3/20は~17:00)

開園期間

4月1日~2月14日、3月1日~3月31日(2月15日~2月28日は休園)

料金

大人(高校生以上):250円

小人(小学生以上):120円

小学生未満、満65歳以上、障害者手帳提示、長期滞在者及び留学生等を含む外国人観光客は無料(障害者介助者も1名まで無料)

紅葉の見頃

色づき始め:11月中旬

見頃:11月下旬

アクセス

近鉄奈良駅から徒歩15分

茶室利用について

利用可能期間 

1月5日~12月27日 

利用料金 

9:00~12:00:12,340円(14,810円) 

13:00~17:00:14,400円(17,280円) 

9:00~17:00(全日利用):24,680円(29,620円) 

※( )内は野点をする場合の利用料金 

※茶室利用者は、別途吉城園入園料が必要。 

利用受付 

TEL:.0742-22-5911(受付時間は9:00~17:00) 

毛氈、ポット類、紅白幕等の備品は無償で貸出。

 

 

浮見堂

浮見堂は、奈良公園の鷺池(さぎいけ)に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)の八角堂形式のお堂になります。

池の水面や、春日山・高円山をはじめとする山々とのコントラストが素晴らしいことで有名で、春は桜、夏は百日紅(サルスベリ)、秋は紅葉、そして冬は池の結氷や雪景色との共演を見ることができます。

浮見堂はそんな四季折々いつ見ても飽きることのない風景の一部に欠かせない存在となっており、各観光シーズンではカメラを抱えた人たちが集まるフォトスポットとなっています。

また、鷺池脇には観光客向けに貸しボートがあり、名実ともに奈良を代表する水辺の風景を、いつもとはちょっぴり違った水面から楽しむこともできますよ!

奈良公園へ足を運んだ際は、この浮見堂への訪問もお忘れなく!その時だけの風景を、楽しむことができること間違いなしですよ!!

と言いながら、今回はライトアップの時間にのみ訪問しました笑

 

浮見堂へのアクセス

奈良交通バス 春日大社表参道 下車から徒歩3分

近鉄奈良線から徒歩20分

東大寺大仏殿から徒歩12分

春日大社本殿から徒歩15分

 

 

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奈良公園のまとめ

ということで、今回は奈良公園についてはもちろんのこと、公園内の東大寺や興福寺、春日大社などについてもご紹介してきました!

今回書いてきた寺社仏閣や庭園をはじめとする奈良時代の古代日本を象徴する文化の数々、そして、特別天然記念物の「春日山原始林」をはじめ、「奈良のシカ」や「春日大社ナギ樹林」、「知足院ナラノヤエザクラ」に「ルーミスシジミ棲息地」といった数多くの天然記念物をも内包する奈良公園。

一つの場所で文化と自然の両方に触れることのできる、日本でも数少ない観光地です。

それでいて、奈良県の中心地に位置しアクセスも良好ということで、まさに言うことなしの名所ですよね!

皆さんもぜひ奈良に足を運び、より日本文化の”原典”に近しいと言える奈良・平城京の歴史を知るとともに、木々に溢れ、鹿たちと共存する古代から続く自然を堪能してみてくださいね!!