みなさんこんにちは!旅狼かいとです!
かつての京都において有数の花街として名高い「祇園」。
「舞妓さん」がいることでも知られ、観光地として非常に人気がありますよね!
そんな祇園にいった多くの人がセットで訪れるのが、「八坂」、そして「二寧坂」と「産寧坂」です!
清水寺の参道だった石畳の小径に風情ある古風なお店が立ち並ぶその様子は、まるでかつての京の都にタイムスリップしたかのよう…!
この記事では、そんな八坂・二寧坂・産寧坂、そして祇園の見どころをタップリとお届けしていきます!!
〜もくじ〜
祇園の見どころ
祇園の歴史と八坂神社

「八坂」という名前がついていますが、地元の人たちからは「祇園さん」という愛称で親しまれているのが「八坂神社」です。
祇園の大通りのちょうどつきあたりに立つ神社で、赤く大きな楼門が目印。
八坂神社の祭神は「牛頭天王(ごずてんのう)」であり、この牛頭天王は釈迦が説法を行なったとされる「祇園精舎」の守護神であるとされていたことから、八坂神社は元々「祇園社」や「祇園神社」などと呼ばれていました。
そしてこの祇園社が鴨川一帯までの広大な境内地を保有していたことから、現在「祇園」と呼ばれている街一帯も「祇園」と呼ばれるようになったのです。
なので、祇園の街は八坂神社(祇園社)の門前町として栄えた地区になるのです。
京都有数の花街として知られる祇園ですが、花街として本格的に栄えたのは明治以降のこと。
現在の祇園には、歌舞伎劇場「南座」や祇園甲部歌舞練場、祇園会館などが立ち並んでいるほか、喫茶店やバー、お土産屋も多く並んでいます。
大通りに面した部分ではかつての面影を感じることは難しいかもしれませんが、、
花見小路をはじめ大通りから一歩奥まったところに入れば、現在は料亭や茶屋となっている格子戸の家々が続く道を歩くことができ、今なお京都の歴史を感じさせてくれますよ!
八坂神社

上述の通り、祇園の街発祥の地ともいえるのが、かつて「祇園社」と呼ばれていた「八坂神社」になります。
境内東側には、しだれ桜など四季の自然の風景をゆったりと楽しめる円山公園もあることから、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても近年注目を浴びています。
実際、お正月の三が日に初詣で訪れる人は約100万人にものぼり、これは京都府の中では伏見稲荷大社に次ぐ第二位の参拝者数となっています。
祇園社の創祀については諸説あり、中でも3つの伝説が有名です。
まず一つ目は、656(斉明天皇2年)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)をこの地に奉斎したことに始まるという説。
二つ目は、876年(貞観18年)に南都の僧「円如」が薬師千手の像を奉納して建立したのち、同年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓の祇園林に降り立ったことに始まるという説。
そして三つ目は、829年(天長6年)、紀百継(きのももつぐ)が現在の祇園の地を下賜され、神の祭祀の地としたことに由来するという説です。
いづれにしても創建のきっかけは定かになっていない祇園社ですが、平安時代には藤原氏や天皇家からの信仰を集め、以降の武家の時代でも、平清盛の田楽奉納や源頼朝の狛犬奉納にはじまり、足利将軍家や豊臣秀吉、徳川幕府まで、武家からの崇敬も篤かったといいます。
紀百継(きのももつぐ)の後裔である行円(ぎょうえん)が感神院(祇園社)執行となって以後、明治維新による廃止にいたるまで子孫代々が世襲制によってその職を継いできたことも特徴の祇園社。
明治元年(慶応4年、1868年)の神仏分離令により、「八坂神社」と改名されました。
八坂神社の祭神

・中御座:素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
・東御座:櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと)…素戔嗚尊の妻
・西御座:八柱御子神 (やはしらのみこがみ)
…大屋比売神(おおやつひめ)や抓津比売神(ツマツヒメ)、宇迦之御魂神(うかのみたま)をはじめとする素戔嗚尊の8人の子供の総称
明治維新の一環で行われた神仏分離令以前の主祭神は、以下の3柱
・中の座:牛頭天王 (ごずてんのう)…素戔嗚尊と同一視された習合神
・東の座:八王子 (はちおうじ)
・西の座:頗梨采女 (はりさいにょ)…牛頭天王の妃とされる
八坂神社の観光案内
開門時間と料金
楼門は常に解放されており、無料
アクセス
京阪祇園四条駅 より徒歩約5分
阪急河原町駅 より徒歩約8分
JR京都駅 より車で約15分
JR京都駅 より市バス206番 祇園 下車すぐ
八坂の見どころ
八坂の塔(法観寺 五重塔)
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八坂神社を越えた先に広がる、かつての京都の面影を感じさせる石畳の小路。
その中でも一際目を引く高い塔。
それが「八坂の塔」と呼ばれる「法観寺」の五重塔になります!
伝承によると法観寺の五重塔は、592年に「冠位十二階」や「憲法十七条(十七条憲法)」を定めたことで有名な「聖徳太子」が、夢の中で如意輪観音のお告げを聞いたことをきっかけにして建てたとされているのですよ!
残念ながら、この聖徳太子によって創建されたという伝承はあくまで”伝説”であり信憑性は薄いと考えられているものの、794年に平安京へと遷都される以前から存在したということは確実とされており、由緒正しい寺院でなのです。
ちなみに有力な創祀の説は、朝鮮半島から渡ってきた系列である八坂氏の氏寺として建てられた、という説だそうで、境内から出土した瓦の様式から法観寺の歴史は7世紀ごろにはじまったと考えられています。
現存する五重塔は、1440年(永享12年)に室町幕府六代将軍「足利義教」によって再建されたものですが、中心の礎石は創建当初のものがそのまま使われています。
また、最後の再建の前にも何度か再建されているのですが、その中には鎌倉幕府を成立させた「源頼朝」の援助を受けた時もあったといわれており、時の権力者たちからも一目置かれていたことが感じられますね!
今日では、周囲の石畳や小路の古民家とともに塔を撮影するビューポイントとして非常に人気が高く、インスタ映え・フォトジェニックな場所としても知られています!
ライトアップは夜の10時まで行われているのもうれしいポイントですね!!
法観寺の観光案内
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開門時間
10:00~16:00
料金
500円(中学生以上)
五重塔(八坂の塔)ライトアップ
日没~22:00
毎年3月上旬~中旬にかけて行われる「京都・東山花灯路」では、石畳の小路も合わせてライトアップされる
上の写真などよく見る八坂の塔の風景は、塔の南の道から撮ったものです!
アクセス
祇園四条駅 より徒歩14分
清水五条駅 より徒歩16分
市バス 東山安井 または 清水道 下車より徒歩約5分
八坂庚申堂

八坂の塔の近くに、八坂にいったらいっておきたい隠れ名所「八坂庚申堂(やさかこうしんどう)」はあります。
正式名称は「大黒山 金剛寺 庚申堂」といい、日本における「庚申信仰」発祥の地とされるお寺になります。
日本三大庚申のひとつで、日本最古の庚申堂でもある八坂庚申堂。
「庚申(かのえさる、こうしん)」というのは、60ある十干・十二支の組み合わせの一つで、十干の「庚」と十二支の「申」の陰陽五行がともに「陽の金」であることから、「庚申の年・日は金気が天地に充満して人の心が冷酷になりやすい」と考えられていました。
また中国由来の宗教の一つ「道教」によると、人間の頭と腹と足には三尸(さんし)という虫がいて、庚申の日の夜に寝ている人間の体を抜け出し天帝(閻魔大王)にその人の悪行を報告することで、報告内容によっては、その人間は寿命が縮められたり死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると信じられていました。
これらのことから、平安時代の頃から公家や僧侶の間で行われていたのが「庚申待(こうしんまち)」です。
庚申待とは、「寝ている間に三尸が抜け出すのなら寝なければいいだけではないか!」という現代にも通じる(笑)考え方のもと、すごろくや詩歌管弦を徹夜で楽しむというもの。
この庚申待がいつの間にか「庚申」そのものを信仰の対象とする「庚申信仰」に姿を変えていき、さらに庚申信仰は仏教をはじめとする他の宗教と習合していったのです。
庚申信仰の本尊は「青面金剛(しょうめんこんごう)」という特有の神体。
これは「申」と「猿」のつながりから「猿田彦命(さるたひこのみこと)」と同一視されると考えられています。
そして、庚申信仰を一般の人でもできるようにと浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が日本で最初の庚申堂として創建したのが、この「八坂庚申堂」なのです。

そんな八坂庚申堂、今では着物で訪れる女性も多い隠れ人気スポットなのです!
なぜ女性を中心に人気を集めているのか、、
その理由は、独特な願掛けに使用される”あるモノ”にあるんです。
八坂庚申堂では、願いを叶えるためには願いを持ち続けるのではなく「欲を捨てる」べしといわれています。
その”欲を捨てる”ために使われるのが、「くくり猿」と呼ばれる一見お手玉のようにみえるお守りです。
このくくり猿、カラフルな体をもち手足をくくられて動けなくなった猿の姿をしているのが特徴。
欲望のままに行動する猿を動けない姿にすることで、欲に走らないよう人間を戒めているのだそう!
そして、くくり猿に願いを書き込めることで欲を我慢すると、願いを叶えてくれるそうですよ!
この一風変わった願掛け方法と境内を彩るカラフルなくくり猿たちの風景は、着物でめぐる京都旅行にピッタリということで、いつの間にか”インスタ映え”を求める女性たちの注目になったというのです!
欲を捨てることで願いを叶える。。
なんとも難しい気もしますが、このお参りとフォトジェニックな写真を撮りに、祇園・八坂を訪れた際はこの八坂庚申堂への寄り道もお忘れなく…!!
八坂庚申堂の観光案内

開門時間
9:00~17:00
料金
無料
くくり猿は1個500円
平日は100個、休日は300個の個数制限あり
アクセス
祇園四条駅 より徒歩13分
清水五条駅 より徒歩17分
市バス 東山安井 下車より徒歩約6分
市バス 清水道 下車より徒歩約7分
二寧坂と産寧坂
二寧坂と産寧坂について

祇園から八坂神社や八坂の塔を越えてさらに清水寺の方向へ進むとあるのが、「二寧坂」と「産寧坂」です。
それぞれ「二年坂」と「三年坂」と呼ばれることもありますが、正式名称は「二寧坂」と「産寧坂」の方ですよ!
豊臣秀吉の正室であった「ねね(北政所)」が余生をこの地域で送ったことから「ねねの小径」とも呼ばれるこの一帯は、延暦17年(798年)に清水寺が寺院として整えられて以来、門前の参道として栄えてきた小路となります。
「これぞ京都!」と言わずにはいられない街並みには、お土産屋や古民家カフェが軒を連ねており、この道を歩いているだけでも十分な観光になってしまうほど!
個人的に、着物を着て歩きたいNo.1スポットかもしれません…!!
ちなみに名前の由来については、二寧坂・産寧坂それぞれに2つずつ説があります。
まず、産寧坂について、
一つ目は、豊臣秀吉の正妻「ねね(北の政所)」が高台寺に居を構えた際、子供が”産”まれてくるを”念”じて坂をあがり清水寺にお参りしていたことからという説、
二つ目は、ねねをはじめとする人々が「”寧(やすら)かな”お”産”ができるように」と清水寺へ安産祈願に訪れていたことからという説
が知られています。
二寧坂については、
産寧坂の下にあることから二寧坂で呼ぶようになった、という説と
大同2年(807年)に坂ができたから、という説が有力だそう。
また、二寧坂には「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」というちょっぴり怖い言い伝えもあります。笑
まぁこれは「石段坂道は気を付けて」という警句が語り伝えられたものだとされているのですが、実際、観光シーズンになるとこの道は人でいっぱいになりますし、特に雨の日は石段が滑りやすくなります。
着物を着て歩く方も多いでしょうから、本当に転んで2年以内に死んでしまわないよう足元や周りには十分注意して観光を楽しんでくださいね!
二寧坂・産寧坂の観光案内

時間・料金
散策自由
小路沿い店舗の営業時間
ほとんどのお店が9:00(or 10:00)~18:00
アクセス
祇園四条駅 より徒歩15分
清水五条駅 より徒歩17分
市バス 東山安井 または 清水道 下車より徒歩約6分
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