みなさんこんにちは! 観光情報サイト「旅狼どっとこむ」の旅狼かいとです!
今回は”学問の神様”こと菅原道真が祀られる神社「北野天満宮」の歴史や見どころ、拝観料やアクセスといった観光情報をお届けします!
京都屈指の受験や勉強のご利益をいただくことができ、初夏の青もみじや秋の紅葉が楽しめる「御土居のもみじ苑」は日本全国を見回しても屈指のレベル。おまけに「北野天満宮の七不思議」も存在するパワースポットでもあるのです!
京都への家族旅行やカップル旅行、女子旅や修学旅行での行き先をお考えの方は、ぜひこの記事を参考にして北野天満宮がどんなところか知ってみてください!
北野天満宮の歴史と祭神「菅原道真」について
「北野天満宮」は、福岡の太宰府天満宮とともに菅原道真を祭神として祀る天神信仰発祥の地です。全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社となっており、地元の方々からは親しみをこめられて「北野の天神さん」や「北野さん」と呼ばれています。
まずはそんな北野天満宮の歴史について、祀られている祭神「菅原道真(天満大自在天神)」のお話を絡めながらご紹介します!
菅原道真が太宰府へ左遷
時は平安時代、「菅原道真」は決して恵まれた家柄を持っていたわけではなかったものの、優れた才能と学の高さ、そして忠臣さを持ち合わせていました。道真はその能力を見込まれて宇多天皇に重用され、当時の最高位の一つである右大臣に任命されたのでした。
しかし、当時は家柄が非常に重要視される時代。加えて菅原家は、当時衰退していた儒教に重きを置く家系でした。そんな輩が国の最高位に就いているなんておもしろくない。そう思う人々がいるのは当然の話。
政権争いの末、道真は同時期に左大臣を務めていた藤原時平らの政略(と言う名の陰謀)により、太宰府へと左遷されてしまいます。
道真の祟りが京都を震撼させる
太宰府で無念の晩年を過ごしこの世を去った道真でしたが、京都ではちょうどその頃から落雷などの自然災害が相次ぐようになります。
そして、藤原時平をはじめとする道真左遷の陰謀に関わったとされていた人々が、落雷に打たれるなどして次々と不審死を遂げていきます。
そんな京の都の様子を目の当たりにした人々は、次第にこれらが菅原道真の祟りだと信じ始めたのです。
朝廷もこの由々しき事態に対処するために、まずは道真の左遷を撤回し、官位を返上します。しかし、祟りは収まるところを知らず、ついには皇太子や天皇までもが崩御してしまうのでした。
朝廷は次々と道真の祟りを鎮めるために官職を与え、最終的には、左大臣・右大臣のさらに上位の役職であり、律令官制の最高官である太政大臣に道真を任命します。
さらには「天満大自在天神」という神号を道真に贈り、太宰府では道真の廟が建てられていた安楽寺を醍醐天皇の勅令によって「安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)」に改修。現在の北野天満宮が建つ北野では、当時建っていた朝日寺(東向観音寺)を道真を祀る社殿「神宮寺」としたのでした。
北野の地が道真を弔う場所として選ばれた理由としては、右京七条に住む多治比文子という少女と近江国の神官の幼児である太郎丸に託宣があったからとされています。
北野天満宮の創建
菅原道真を祀るお寺として建てられた神宮寺を今日の北野天満宮が見せる壮大な社殿につくり直したのは、藤原師輔という人物です。
藤原師輔は、道真と敵対していた藤原氏であり道真を左遷した藤原時平の甥でもありましたが、父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われています。
永延元年(987年)には初めて勅祭が行われ、この際に神宮寺は一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られたのでした。
国家の重大事の際や天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた「二十二社」の一社にも加えられた北野天満宮は、朝廷や貴族たち、室町時代には足利将軍家からの手厚い信仰と保護を受けたのでした。
豊臣秀吉の時代〜現代にかけて
戦国時代が集結した後の天正15年(1587年)には、境内で豊臣秀吉が茶会「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」を開催したことでも知られています。
江戸時代の頃には菅原道真の怨霊としての性格は薄れ、いつしか「天神様」と呼ばれるようになった菅原道真。道真の勉学の才能や勤勉さから、北野天満宮は「学問の神様」のお社として広く信仰されるようになります。
今では、福岡県太宰府市の「太宰府天満宮」とともに、学問の神様「菅原道真」を祀る全国天満宮の総本社として天神信仰の中心的役割を担っている北野天満宮。
梅やもみじの名所としても知られており、日本を代表する観光名所として人気を集めています!
北野天満宮の見どころ
それではここから、北野天満宮に行ったら絶対にチェックしたい観光の見どころをご紹介します!
楼門
北野天満宮の二階建ての門「楼門」は、桃山時代の華やかな様式で造られています。
門の中央にある額には『文道大祖 風月本主』と書いており、これは菅原道真を称えるものだそう。
迫力ある門のそばには、豊臣秀吉の時代に開かれた大規模な茶会「北野大茶湯」の跡もあります。千利休が茶をたてる際に使用した水を汲んだとされる「太閤井戸」や北野大茶湯を記念した石碑も立っており、秀吉ファンは必見の見どころです!
三光門
「三光門」は、楼門と拝殿の間に建つ「中門」の北野天満宮特有の呼び名になります。
後西天皇御宸筆の『天満宮』の文字が掲げられたこの三光門、一見ただの門のように見えますが、拝殿と並ぶ北野天満宮のシンボル的存在なのですよ!
名前の由来となっている「三光」は空に輝く「日・月・星」の3つを表しており、門にこの3つを象った彫刻が彫られていることから名付けられた、、はずなのですが…
実は北野天満宮の三光門には「星」の彫刻がないのです。
その理由として伝えられているのが、
朝廷の正殿である大極殿からこの北野天満宮を望むと、ちょうどこの中門の真上に北極星が輝いていたためあえて星を刻まなかった
という伝説です。
つまり、「この地こそが天空と一つになって平安京を守っている」と解釈されていたわけなのです!
この伝説は「星欠けの三光門」として「北野天満宮の七不思議」に数えられており、こうした理由から要チェックの見どころとなっているのですよ!
社殿
北野天満宮に来たら絶対に立ち寄るであろう場所が、この「社殿」です!
桧皮葺屋根でできた総面積約500坪という非常に大きな北野天満宮の社殿は、祭神である菅原道真(天満大自在天神)を祀っている「本殿」と参拝者がお参りをする「拝殿」が、「石の間」という石畳の廊下で繋がっているのが特徴です。
また、本殿の西に「脇殿」を、拝殿の両脇には「楽の間」を備えており、これら多くの部屋を備えた複雑な建築様式は「権現造」や「八棟造」と呼ばれています。
数少ない権現造の社殿としては栃木県の日光東照宮や埼玉県の秩父神社も代表されますが、北野天満宮の社殿もまた創建当時の神社建築の歴史を物語ってくれる貴重な遺構とされており、国宝に指定されています。
現在の本殿は、豊臣秀吉の遺命により息子の秀頼が慶長12年(1607年)に造営したもので、唐破風や黄金色に輝く装飾、細やかな彫刻の数々は、豪壮華麗、絢爛豪華な安土桃山文化ならではの建築となっています。
毎月25日に実施される縁日のライトアップでは吊燈籠に火がともされ、幻想的な眺めを見ることもできますよ!
ちなみに本殿前には、向かって左に梅が、右に黒松が植えられています。
梅は菅原道真が愛していた花として有名ですね! 『飛梅伝説』という「左遷された太宰府で京都の自宅の庭に置いてきた梅を想って和歌を詠んだところ、その梅が太宰府にまで飛んできた」という伝説が残っているほどで、天満宮を語る上では切っても切り離せない植物です。
なで牛
北野天満宮をはじめ、菅原道真を祭る天満宮では「牛」を神の使いとして信仰しています。
「太宰府で道真の遺骸を運んでいた牛が安楽寺の前で伏した」という伝説から、日本各地の天満宮にはほとんどが”座っている”「御神牛」という牛の像が置かれているのです。
そんな”お座り牛”の像、現在では「なで牛」と呼ばれており、自分の体の悪い部分を触るとその部位が治るご利益があるとされます。
特に「牛の頭を撫でると道真由来の知恵・叡智を得ることができる」というご利益が有名で、パワースポットとしても知られています!
また、境内には「拝殿欄間の彫刻に刻まれた神牛だけ”立った姿をしている”」という「北野天満宮の七不思議」の一つになっている神牛も存在しますから、北野天満宮に足を運んだ際はぜひ牛にも注目してみてください!
梅苑
天満宮といえば触れておかなければいけないのが、菅原道真が愛した梅が咲き誇る「梅苑」ですね!
北野天満宮の梅苑には50種約1,500本の梅の木が立ち並んでおり、中には早咲の「寒紅梅」や珍しい品種の「黒梅」なども見られます。
早咲きの梅は例年12月中旬頃からつぼみがふくらみ始め、正月明けから開花します。そして2月下旬~3月中旬の満開の時期には、約2万坪の境内中で白梅や紅梅、一重や八重とさまざまに咲き芽吹く梅の花々を愛でることができます。
見頃を迎えた後も、3月末ごろまで長く梅のお花見を楽しむことができますよ!
御土居のもみじ苑
今回ご紹介している北野天満宮しかり、福岡の太宰府天満宮しかり、「天満宮」は基本的に「梅の名所」として知られています。
そんな天満宮の中では珍しく、北野天満宮は「御土居(おどい)」と呼ばれる境内の一部が「もみじの名所」としても非常に有名なのです!
「京廻堤」や「新堤」、「洛中惣構え」などとも呼ばれる御土居は、豊臣秀吉によって造られた京都を囲む土塁の名称です。天下統一を果たした秀吉が”京都改造”を掲げて行った事業の一つで、その一部が北野天満宮の境内に史跡として残されたということだそう。
そしてその史跡に、紙屋川にかかる朱塗りの太鼓橋「鶯橋」や樹齢600年を超える木々とともに神社の境内とは思えない規模でもみじの林が広がっているのです!
菅原道真も愛したという色鮮やかな紅葉と川沿いのせせらぎが訪れた人の癒しとなっている様子は、まさに「日本の秋の風物詩」と呼ぶに相応しい風景と言えるでしょう!
さらにこのもみじ苑、秋の紅葉の時期だけでなく、春から初夏にかけて見られる瑞々しく清々しい「青もみじ」の名所としても大人気!
まさに、一年を通じて日本の自然を楽しむことができる観光名所なのですね!
北野天満宮の観光地情報
最後に、北野天満宮の拝観時間や拝観料、季節のイベントや見頃、アクセスといった観光地情報をご案内します。
拝観時間
【4月~9月】
5:00~18:00
【10月~3月】
5:30~17:30
【縁日とライトアップ】
毎月25日の6:00~21:00
※社務所・授与所は9:00~17:00
特別拝観
北野天満宮では、梅やもみじの見頃となる時期に特別拝観が行われています。
梅苑公開
【開催期間】
例年2月初旬~3月下旬
【開催時間】
9:00~16:00
【その他】
公開中はお茶とお菓子を供する茶屋も開かれ、2月25日には梅花祭と梅花祭野点大茶湯が催されます。
史跡 御土居の青もみじ苑
【開催期間】
例年5月上旬~下旬
2022年は、4月9日(土)~6月26日(日)
【開催時間】
9:00~16:00
史跡 御土居のもみじ苑
【開催期間】
例年10月下旬〜12月上旬
2022年秋は、10月29日(土)〜12月4日(日)
【開催時間】
9:00~16:00(最終受付は15:40)
秋の紅葉ライトアップ
【開催期間】
2022年秋は、11月12日(土)~12月4日(日)
【開催時間】
日没~20:00(最終受付は19:40)
※社務所・授与所の時間も20:00までとなる
拝観料金
【境内】
自由散策のため無料
【梅苑(茶菓子付き)】
・大人:1,000円
・小人:500円
【史跡 御土居の青もみじ苑】
・大人:500円
・小人:250円
・修学旅行生:250円
【史跡 御土居のもみじ苑(茶菓子付き)】
・大人:1,000円
・小人:500円
【紅葉ライトアップ(茶菓子付き)】
・大人:1000円
・小人:500円
※大人は中学生以上、小人は小学生以下
所要時間
【境内参拝】
30~40分
【史跡御土居もみじ苑】
45~60分
その他の主なイベント(2022年の北野祭)
【御手洗祭】
祭礼日:8月7日(日) 10:00〜
【夏の夜間特別拝観】
開催日:8月6日(土)〜8月14日(日)
時間:日没〜20:00
【例祭】
祭礼日:9月4日(日) 10:00〜
【ずいき祭り(秋の夜間ライトアップ)】
祭礼日:10月1日(土) 〜10月5日(水)
ご利益・お守り
【学業上達・受験合格】
「文道の大祖」「風月の本主」と謳われる菅原道真(天満大自在天神)を祀ることから
【星まもり】
三光門の真上に北極星が位置するため、北野天満宮は天のエネルギーが働く聖地であると伝えられていることから。星まもりは全部で五色あり、それぞれにご利益があります。
紅葉の見頃
・色づき始め:11月上旬
・見頃:11月中旬~12月上旬
オススメ度
★★★★☆
※受験生をはじめとする学生:★★★★★
※もみじ苑(青もみじも紅葉も):★★★★★
観光のオススメ時間
毎月25日は縁日が開催されるため、普段より混雑するので注意
アクセス
〒602-8386
京都市上京区馬喰町 北野天満宮社務所
TEL:075-461-0005
・京福電車「白梅町駅」から徒歩5分
・市バス10・50・51・55・101・102・203系統で「北野天満宮前」で下車後すぐ
【駐車場】
・9:00~17:00
・300台完備(毎月25日は縁日のため駐車不可)
北野天満宮 まとめ
ということで今回は、京都「北野天満宮」の歴史や見どころ、”学問の神様”こと菅原道真についてや観光地情報をお届けしてきました!
平安時代から続く歴史と日本ならではの自然が織りなす風光明媚な風景、そして、日本一ともいえる学問の神様としてのご利益。特に受験を控えた学生や勉強を頑張りたい方々にとっては足を運びたい名所ですし、初夏の青もみじや秋の紅葉は日本有数の絶景でした!
ぜひ京都へ旅行する際は、北野天満宮への観光もプランに入れてみてくださいね!
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