新古と赤青が入り混じるフットボールの街!マンチェスターの観光案内|エティハドスタジアムでサッカー観戦も!

みなさんこんにちは!旅狼かいとです!

今回の記事で取り上げるのは、イギリスのマンチェスターです!

マンチェスターといえば、真っ先に思い浮かぶのはフットボール(サッカー)でしょう!

プレミアリーグ(イングランド1部リーグ)は世界でも圧倒的な人気を誇りますが、その中でも常に話題の中心にあるのが、マンチェスターを本拠地とする2チーム「”赤の”マンチェスター・ユナイテッド」と「”青の”マンチェスター・シティ」ですよね!

今回は、前半にマンチェスター・ユナイテッドと本拠地オールドトラフォードの、後半にマンチェスター・シティと本拠地エティハドスタジアムの紹介をしますし、エティハドではシティvsリヴァプールの観戦の様子も書かいていますよ!

また、マンチェスターは19世紀の産業革命期において急速に工業都市として発展し、今日ではイギリス国内においてロンドンに次ぐ金融の街としても知られているのです。

加えて、町の起源は古代ローマ時代にまで遡るほど、歴史を持つ町でもあるマンチェスター。

まさに、「新古入り混じるフットボールの町」なのです!

   

目次

マンチェスター(Manchester)について

マンチェスターの歴史

マンチェスター(Manchester)はロンドンから3時間ほどの、ブリテン島のほぼ中心部に位置します。

イングランドの中では北部の地域で、“イギリス一“とも謳われる自然豊かな湖水地方への入り口にあたります。

マンチェスターの歴史は、1世紀、この地に古代ローマ帝国によって砦が築かれたことが始まりとされています。

「マンチェスター」の名前の由来は、ケルト語の地名”mamm”をラテン語風に読み替えた「マムシウム(Mamcium)」と、古英語の「ケステル(ceaster)」を組み合わせたものであると考えられており、”Mamcium(mamm)”は「胸の形をした丘」、”ceaster”は「町」を意味しています。

都市として機能し始めたのは10世紀ごろと考えられており、一年中湿度が高めな気候を活かした羊毛工業、さらには、毛織物工業が発展していきます。

そして19世紀、紡績機に蒸気機関が導入されたことで綿工業が最盛期を迎え、産業革命期の大英帝国の中心的役割を担うようになります。

しかし、20世紀に入り綿工業が衰退していくにつれ、マンチェスターの勢いも衰えていきます。

栄枯盛衰を味わったマンチェスターですが、二度の世界大戦を経た今日では、イングランド北部の教育やメディア、芸術・大衆文化の中心地となっており、さらに街には多くの金融機関が居を構えています。

戦後の再開発によって若者や多くの民族が流入し、街には活気が戻ったマンチェスター。

現在では、経済的にはロンドンに次ぐイギリス第二の都市となっているのです!

 

マンチェスターの文化

一年を通じて比較的降水量があり、加えて冬の冷え込みも厳しいことから、室内でのカルチャーが早くから発達したのがマンチェスターの特徴だと言われています。

その代表例が、音楽の分野ですね!

管弦楽団などのクラシックはもちろんのこと、ポップス、ロック、テクノと様々な分野で著名なミュージシャンやバンドを数多く輩出しており、一時は「マンチェスター」という音楽ジャンルが生み出されたほど!

と言っても、僕が知っていたのは「オアシス(Oasis)」くらいでしたが…笑

 

マンチェスターといえば、、フットボール(サッカー)!!

マンチェスターを語る上で外せないのが、冒頭でも触れたフットボールですね!

マンチェスターの町は、全世界にファンを有し多くの著名人もファンであることを公言するマンチェスター・シティ(Man City)マンチェスター・ユナイテッド(Man United)という二大サッカークラブを擁しています。

両チームのサポーターも、両者が激突するダービー・マッチの際は町が二分されると言われるほど、”アツい”ことで有名ですね!

ちなみに、先ほどからサッカーのことを「フットボール(football)」と呼んでいますが、これはイギリス英語の表現にならったものですよ!

マンチェスター・シティとマンチェスター・ユナイテッドについては、それぞれ記事の後半でたっぷりとご紹介しますよ!!

 

蜂のシンボル

マンチェスターの街を歩いていると、いたるところにのマークを見かけるはずです。

これはマンチェスターの町のシンボルで、「知恵を持ち寄り、協力しあう」といった意味が込められているそうです。

町にこういう意味を持つシンボルがあり、それを実際に使っているというのは素敵ですよね!

   

マンチェスターを観光しよう!

ではでは、マンチェスターの見どころを、実際にマンチェスターを観光したときの様子とともにご紹介していきます。

写真が多めの項目もあるので、そこはギャラリーだと思って見ていってください!

マンチェスター観光の基礎情報

まずはマンチェスターの観光情報から。

マンチェスターそのものは大きな町ですが、旅行・観光として訪れた場合は、多くの見どころが町の中心部に集中しているため比較的観光しやすいでしょう。

また、市内を無料で巡回するシャトルバスや、市街地と郊外を結ぶ路面電車も利用しやすく、移動にも不便がないこともGOODですね!

ただし、言葉の部分は若干注意が必要です。

というのも、方言の一つである「マンキュニアン(マンチェスター人の愛称)」特有の発音や言葉の使い方を理解するのは、英語に慣れていない人にとっては非常に難しいことのはずだから!

僕も市場で苦戦したのが、いまでも忘れられない思い出です。笑

とは言っても、マンキュニアンの多くは気軽に接することができ親しみやすい方々と言われていますので、フットボールパブなどで臆せず会話を楽しんでみるなんかもアリですよ!
(これは僕の次にマンチェスターに行った際の目標です…!)

 

オールドトラフォード(Old Trafford)

オールドトラフォード(Old Trafford)夢の劇場(The Theatre of Dreams)の異名を持つ、マンチェスター・ユナイテッドの本拠地、ホームスタジアムです!

サッカーファン、フットボールファンなら一度は訪れたい場所ではないでしょうか!!

試合がない日でも基本無休のオフィシャルショップが併設されているほか、スタジアムツアーも開催されており、ベンチや控え室を実際に見学することができます。

スタジアム内にある博物館への入場も可能となりますので、サッカーファンでなくとも、マンチェスターに来たら見に来ておきたい観光名所ですね!

   

オールドトラフォードへ!

オールドトラフォードについては、ここでまとめて写真をご紹介します。

まずはロンドンからマンチェスターへ!というところから!!

ロンドンからマンチェスターへは、電車で約3時間。

ロンドンのユーストン駅を出発し、マンチェスターのピカデリー駅に到着します。

車内で朝食。

僕はマンチェスターに到着後、オールドトラフォードへ直行しました!

手前にあるのはクリケット場です。
来ました!オールドトラフォード!!

マンチェスター・ユナイテッドは、1878年にマンチェスターの鉄道員が中心となって設立されたフットボールクラブです。

創立当初のチーム名は、「ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC(Newton Heath LYR FC)」でした。

1885年にプロサッカークラブへと転向し、1902年に「マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United Football Club)」という現在の名称に変更されます。

1900年代前半、チームは低迷期に入りますが、戦後の1950年代にマット・バズビーが監督に就任するとチームは復活を遂げます。

チームの基礎を築いたマット・バズビー。
このマット・バズビーがチームを率いていた時代に、現在のユナイテッドの愛称「赤い悪魔(Red Devils)」が定着したそうで、こういった文化の面でもマット・バズビーの功績は非常に大きいと言われています。
1960年代後半のユナイテッドの黄金期を支えた3人。
左から、ジョージ・ベストデニス・ローボビー・チャールトン
ミュンヘンの悲劇を悼むモニュメント。

約25年もの長きに渡りユナイテッドを指揮したマッド・バズビーでしたが、退任の時は誰しも来るもの。

しかし、後任人事はうまくいかず、バズビー退任後15年ほど、ユナイテッドは再び低迷期を迎え、うち1年は2部に所属していた時期もありました。

そんな低迷期にピリオドを打ち、再び世界の覇権を握ったのがアレックス・ファーガソンの時代ですね!

サー・アレックス・ファーガソン
写真引用:Wikidedia アレックス・ファーガソン

ファーガソン最大の功績は、若手選手とベテラン選手の融合、そして、強烈な”個”を持つ選手たちを上手に導いていったことでしょう。

僕たちの世代は絶頂期のユナイテッドを知っていますからね〜〜!!

ライアン・ギグスリオ・ファーディナンドポール・スコールズマイケル・キャリックをはじめとするその時代のイギリスサッカーを牽引した選手たち、そして、ウェイン・ルーニークリスティアーノ・ロナウドなどの超がつくほどの将来有望な若手選手たち。

どこを見てもワクワクする布陣でした!

ちなみに、現在のサッカー界で“7”といえば「クリスティアーノ・ロナウドの番号」というイメージが強いですが、その原点とも言えるのが、マンチェスター・ユナイテッドでの”7番”なのですよ!

ユナイテッドでは伝統的に、「栄光の7番」と呼ばれる背番号7が特別な番号として扱われています。

一般的には9番や10番がエースナンバーと呼ばれますから、”真の”エース、といったところでしょうか。

“5人目のビートルズ”ジョージ・ベスト、”キング”エリック・カントナ、”貴公子”デイヴィッド・ベッカムなど、知る人に語らせればいくらでも語れるだろう時代を代表するスター選手がつけてきた背番号です。

ロナウドもユナイテッドに移籍してきた当初から、この7番を背中に纏い、これらレジェンドたちに引けを取らない活躍をみせました。

そんなユナイテッドの7番。

ロナウドが去った以降も多くのスター選手が着用していますが、なんとまったくもって活躍できていないのです…!

その結果、今では「栄光の7番」は「7番の呪いとまで言われてしまうようになり、選手によっては”7″を提示されても渋るほどだとか。。

クラブの伝統というのは、そこまでに重いものなのですね〜

ロナウドの7番については、ユナイテッドからレアル・マドリードへ移籍した際に確立したと言えます。

レアルでは、加入当初は9番をつけていましたが、当時の”レアルの象徴”ラウールから7番を継承し、今では”7″はすっかり彼の数字となっていますね!

ポルトガル代表でもルイス・フィーゴから7番を継承したことで、一層”7″の印象を強めましたね!

ユナイテッド時代は”若手”だったクリスティアーノ・ロナウド。
クリロナ」という愛称ももはや懐かしいですね…!
写真引用:FOOTBALL CHANNNEL

ロナウドの話はこれくらいにして、マンチェスター・ユナイテッドのお話に戻りましょう。

ファーガソン監督は27年という長期政権を敷きましたが、2013年5月に、ユナイテッドの監督退任とともに監督業からの引退を発表します。

そして、その後現在に至るまで、ユナイテッドは再び低迷・混迷期に入っています。

デイヴィッド・モイーズ、ライアン・ギグス(約一月の暫定監督のみ)、ルイ・ファン・ハール、ジョゼ・モウリーニョが監督に就任しますが、獲得したタイトルは、ファン・ハール時代の国内のFAカップと、モウリーニョ時代のUEFAヨーロッパリーグの2つのみ。

ファーガソンの時代にユナイテッドに渡った香川真司は、まさにこの混迷に呑まれた”被害者”と言えるかもしれません。。
そのままファーガソンが指揮してくれていれば…と、日本人のサッカーファンなら誰しもが思ったでしょう。。
写真引用:日本経済新聞2012年7月12日

2018-19シーズン途中にモウリーニョは解任となり、現在(2020年6月時点)のオーレ・グンナー・スールシャールが監督に就任しましたが、チームを建て直すまでには至っていません。

復調の兆しが見えてはすぐに崩れる、みたいな傾向にあるのが、スールシャール・ユナイテッドの印象ですね。笑

来シーズン、そのまた次のシーズンくらいまでには、再び強い”赤い悪魔”が見れることを期待したいですね!

数々のスター選手やチームの栄光を辿れるパネルが並んでいます。
次は試合を観に来るぞ〜!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この記事が良かったらみんなにも共有してね!
  • URLをコピーしました!

この記事へのコメントはこちらから!

コメントする

目次