みなさんこんにちは!旅狼かいとです!今回ご紹介していくのは、奈良公園の玄関口ともいえる寺院「興福寺」になります!

五重塔で知られ、世界遺産にも登録されている興福寺。実は「大化の改新」で活躍した中臣鎌足も関係している、非常に歴史あるお寺でもあるのです。

今では大仏殿で知られる東大寺“奈良の鹿”が人気の奈良公園の”お供”のような立ち位置の興福寺ですが、調べてみるとその歴史は大変に深く、そしておもしろいものでした!

長く奈良の観光名所としてあり続けるそんな興福寺について、この記事では見どころ歴史をお届けしていきます!旅行へ行く前に知っておくとより興福寺を楽しむことができる情報満載ですよ!

  

興福寺の歴史

興福寺の歴史_東金堂と五重塔

興福寺の見どころを見る上では、興福寺の歴史を先に頭に入れておくとより楽しむことができます!

ということでまずは、興福寺の成り立ちから現在に至るまでのストーリーをお話しています。

興福寺の創建

興福寺の起源は「山階寺(やましなでら)」と呼ばれるお寺になります。この山階寺、創建にはなんと「中臣鎌足」が関わっているのですよ!

みなさん、中臣鎌足、覚えていますか??(歴史の授業で聞いたことがあるはず!)

中臣鎌足は、中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに大化の改新をなしたことで知られる人物ですね!

晩年、重い病気を患ってしまった鎌足。そんな鎌足を見て、夫人の「鏡女王(かがみのおおきみ)」が夫の回復を祈願するために建てたのが、山階寺なのです!

天智天皇8年(669年)に山背国山階(現在の京都府京都市山科区)に建てられた山階寺は、その後、壬申の乱が起こった天武天皇元年(672年)に藤原京に移り、移転先の地名である「高市郡厩坂」から「厩坂寺(うまやさかでら)」と称するようになり、さらに和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子である「藤原不比等が平城京の左京(現在興福寺が立つ場所)に厩坂寺を移転し、興福寺」と名付けたのでした。

この藤原不比等が厩坂寺を平城京へと移設した710年が、興福寺の実質的な創建年とされており、このとき、本尊釈迦三尊像を安置するための寺の中心的建築物として、中金堂の建設が開始されたと考えられています。

ちなみに、、中臣鎌足は臨終の際大織冠(だいしょくかん、だいしきかん)という当時最上位の冠位とともに「藤原」の姓を贈られており息子の不比等とともに「藤原氏の祖」とされていることでも知られています!(加えて、647年から685年まで用いられた七色十三階冠の制において、大織冠は中臣鎌足にしか贈られなかった位でもあります。)

   

興福寺の最盛

興福寺の歴史_南円堂

平安時代に入ると、興福寺は東大寺や法隆寺とともに「南都七大寺」に加えられます

南都七大寺とは、天皇・朝廷をはじめ公家や貴族たちからも保護を受けた7つのお寺の総称です。

さらに平安時代といえば、藤原氏が摂関政治によって最盛期を迎えた時代でもあります。興福寺に縁の深い藤原鎌足・不比等を先祖とする藤原氏が政権を握ったとなれば、当然関係の強い興福寺も、おのずと強大な力を持つようになります。

結果、興福寺は藤原氏の氏神「春日社」の実権を握るようになり、大和国(現在の奈良県)の荘園のほとんどを掌握し、事実上の大和国の国主となったのです。

その勢力の大きさや僧兵軍団への畏怖の念を込め、当時の人々は、比叡山延暦寺と合わせて「南都北嶺」と呼んでいたそうですよ…!(「南の興福寺、北の比叡山」ということですね!)

その後、火災や自然災害などによってたびたび被害を被ることが増えた興福寺。特に、治承4年(1180年)の治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡の「南都焼討」では甚大な被害を被り、東大寺とともに伽藍のほとんどが焼失してしまいます。

しかし、そうした焼失のたびに多くの支援を受けて再建・復興を遂げた興福寺。鎌倉時代の復興の際は、興福寺を拠点としていた運慶・快慶らによって多くの仏像も手がけられています。(運慶・快慶は、東大寺南大門の金剛力士像を彫刻したことで知られていますね!)

そうして興福寺の隆盛は、鎌倉時代・室町時代まで続くことになりました。

  

興福寺の衰退、そして現在

興福寺の見どころ_中金堂

織田信長があと一歩まで迫り、豊臣秀吉が天下統一を果たした安土桃山時代。その頃になると、興福寺の勢力は次第に衰え、落ち着いていくことになります。

特に、江戸時代中期の享保2年(1717年)にあった火災の際は、時代背景の変化もあって大規模な復興がなされず、この時に焼けた西金堂、講堂、南大門などは結局再建されずじまいとなってしまいます。金堂も1世紀以上経過した後にようやく仮の金堂が建てられたほどで、興福寺の衰退を示すこととなります。

それでも、豊臣秀吉の太閤検地以降、日本各地の寺社仏閣の寺領がほとんど取り上げられる中、興福寺・春日社の寺領は2万1000石と定められていました。

この寺領は、徳川家康を主祭神として祀る日光東照宮や、真言宗の総本山である高野山金剛峯寺に与えられていた寺領と同等かそれ以上であり、その歴史や伝統は江戸幕府も認めるものがあったということなのでしょうね…!

その後、江戸幕府の大政奉還を経た慶応4年(1868年)に明治政府から神仏分離令が発せられます。これを契機に全国に広まった廃仏毀釈の動きに、興福寺はまたも大打撃を受けることになります。

興福寺の別当の中でも特に力を持っていた一乗院と大乗院の門主は還俗(げんぞく)し、子院はすべて廃止、寺領は明治4年(1871年)の社寺上地令で没収され、僧は春日社の神職となってしまいます。

(※還俗:僧侶が戒律を守ることを捨てて俗世の人(つまり一般人)に戻ること)

さらには境内の塀が取り払わたことで、興福寺は実質奈良公園の一部となってしまい、各別当の跡地には多くの現代建築が立ち並んでしまいました。

このような事態の結果、興福寺は象徴である五重塔や三重塔を売りに出さなければいけないほど、廃寺同然の状況にまで追い込まれてしまうのですが、明治30年(1897年)に文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の伽藍も修復・再建がなされ、徐々に寺観が再整備されていったのでした。

つまり今日の興福寺の姿は、かつて隆盛を極めた藤原氏の寺院の面影を感じさせつつも、明治時代の”悲劇”を色濃く残すものとなっているのです。

寺に塀がなく、あたかも公園の中に寺院があるように感じる、いわゆる「信仰の動線が欠落している」状態なのは、まさに廃仏毀釈の運動の名残といえるのです。

  

興福寺の見どころ

興福寺の歴史をご紹介してきたところで、続いては興福寺の見どころをご紹介していきます!

中金堂

興福寺の見どころ_中金堂

中金堂(ちゅうこんどう)は、興福寺伽藍の中心ともいえる最も重要な建物です!

興福寺最初の御堂として和銅3年(710年)に、藤原不比等によって建てられた中金堂。創建以来六度もの焼失を経験しその度に再建されてきた中金堂でしたが、享保2年(1717年)の七度目の焼失の後は財政的な問題により再建が進まず、およそ100年後の文政2年(1819年)に町屋の寄進により”仮堂”が再建されます。

しかし、あくまで仮設として建てられたものであったため急速に老朽化が進み、ついに平成12年(2000年)に解体・再建されることとなります。

現在の中金堂は発掘調査を経たのち、平成30年(2018年)に再建落慶を迎え復元されたものになっており、興福寺の中心的存在でありながら、もっとも新しい建築物となっているのが特徴なのです!

  

東金堂

興福寺の見どころ_東金堂と五重塔

東金堂(とうこんどう)は奈良時代前期の神亀3年(726年)年に、聖武天皇が叔母の元正上皇の病気回復を願って建てたといわれるお堂になります。

創建当時は床や須弥壇などに緑釉塼(りょくゆうせん)という緑色のタイルのようなものが敷き詰められていたと考えられており、薬師如来の東方瑠璃光浄土(遥か東にあるとされる仏の世界)を表していたといわれています。聖武天皇は平城京に遷都し、大仏建立を進めた天皇ですから、東金堂の内部の装飾もかなりの力の入れようだったと思います!

興福寺がたびたび火災に見舞われるようになると、この東金堂もまた焼失の憂き目に遭うことになります。

現在の東金堂は室町時代中期の応永22年(1415年)に再建された5代目ではあるものの、建立された当時を物語る天平文化の趣を今なお伝えてくれています。

そんな東金堂は国宝に指定されており、堂内には本尊の薬師如来坐像をはじめ、文殊菩薩像や日光・月光菩薩立像、維摩居士(ゆいまこじ)坐像などの国宝・重要文化財が多く安置されています。(文殊菩薩が安置されていることから、「文殊堂」と呼ばれていた時期もあったそうですよ!)

  

五重塔

興福寺の見どころ_五重塔と東金堂

東金堂の隣に凛々しくそびえる塔こそ、興福寺の五重塔ですね!

興福寺の創建者である藤原不比等の娘であり、東大寺の大仏造営を進めた聖武天皇の妃でもある光明皇后によって建造された塔になります。

お寺の塔は仏教において、釈尊(釈迦)の舎利(遺骨)を納める墓標を表現しており、当時の仏教寺院では権威の象徴でもありました。当然、塔は大きいほどよいわけで、創建当時、興福寺の五重塔は日本で最も高い五重塔でした。

現在の興福寺の五重塔は、五度もの火災を経て室町時代の応永33年(1426年)に再建されたものとなっていますが、三手先斗栱(みてさきときょう)と呼ばれる奈良時代ならではの組物が用いられており、今でも古都奈良を象徴する建築物となっています。

ちなみに、、現在の五重塔の高さランキングは、
日本一高い五重塔:京都・東寺
2番目に高い五重塔:興福寺の五重塔
3番目:京都・法観寺の五重塔(八坂の塔)
となっていますよ!

  

三重塔

興福寺の見どころ_三重塔

五重塔で知られる興福寺ですが、実は国宝に登録されている三重塔も建っているのです!

康治2年(1143年)に崇徳天皇の中宮「皇嘉門院(こうかもんいん)聖子」によって創建された、興福寺に”現存する最古の建造物“こそが、この三重塔になります。五重塔とはうってかわり、こちらは平安時代の建築様式を伝えているのが特徴です。

初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には、東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来が各1000体描かれており、さらには仏や菩薩などが集う浄土の風景や貴族風の人物など、非常に多くの仏教画が描かれているといいます。

明治時代に神仏分離令が発せられて以降は、東の須弥壇(しゅみだん/仏像を安置する台座)に、かつて興福寺の子院であった世尊院の弁才天像とその諸尊である十五童子像が安置されており、毎年7月7日に弁才天供が行われ、この時だけ内部が一般公開されています。

  

南円堂

興福寺の見どころ_南円堂

西国三十三所観音霊場の第九番札所にもなっている南円堂(なんえんどう)」。弘仁4年(813)年に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父・内麻呂(うちまろ)の冥福を願い、建造した御堂になります。

創建時には弘法大師空海とも縁があったことで知られており、さらに基壇築造の際に、地神を鎮めるために和同開珎や隆平永宝を撒きながら建築されたことが発掘調査でわかっているという、ちょっとおもしろいお堂でもあります!

藤原氏の氏寺であること、藤原氏の中でも摂関家となる北家の内麻呂・冬嗣親子ゆかりの御堂ということ、本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)が身にまとう鹿皮が、藤原氏の氏神である春日社と神鹿への信仰を表していると考えらたことから、創建当時の南円堂は興福寺の中でも一目置かれた存在だったといいます。

現在の南円堂は創建以来4代目で、寛政元年(1789年)に再建されたものになります。

東側の正面には間口1間・奥行2間の「拝所」があり、唐破風も付いているなど江戸時代の細部様式がみられるのが特徴となっています。

毎年10月17日に大般若会が催され、このときのみ南円堂の扉が開かれ内部が一般公開されます。

ちなみに、、南円堂に向かって右側にある小さなお堂は一言観音堂(ひとことかんのんどう)」と呼ばれており、中には“願い事を一言だけ聞き入れてくれる”一言観音という一風変わった観音様が祀られています。

「一言だけ」というのは「1回に1つだけ」とのことですので、一言お願いした願いが成就したならまた次のお願いごとを”一言だけ”持ってきましょう!

  

国宝館

僧侶たちが集まって食事をする食堂(じきどう)があった場所に、耐火式宝物収蔵庫として昭和34年(1959年)に建てられたのが、興福寺の「国宝館です!

国宝館の建物は、もともと食堂と細殿だったものを連結して一つにしたもので、興福寺の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、工芸品、典籍・古文書、その他歴史的資料や考古的遺物などが収蔵されています。

旧食堂の本尊である千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)を中心に、奈良時代・天平文化の傑作として知られる阿修羅像を含む乾漆八部衆像や乾漆十大弟子像、平安時代の燈籠や板彫十二神将像、鎌倉時代の木造金剛力士像や木造天燈鬼・龍燈鬼像など、各時代を代表する仏像の数々が非常に保存状態良く安置されています。

また、地下には旧食堂の遺構がそのままの形で保存されていることでも知られています。残念ながら、僕たちが実物を見ることはできませんが、いつか公開される日がくると、また興福寺の見どころが一つ増えそうですね…!

僕は完全にスルーしてしまった名所なのですが(笑)、

こちらの公式ページだけでも呼んでてめちゃくちゃおもしろいので、日本史や仏教、彫刻文化に興味がある方が必須の見どころですよ!!

  

  

興福寺の観光案内

興福寺の観光案内_中金堂

拝観時間

境内自由(奈良公園と一体のため)

興福寺国宝館・東金堂・中金堂

9:00~17:00(それぞれ入場は16:45まで)

料金

興福寺国宝館

大人(大学生以上):700円

学生(中学生・高校生):600円

小人(小学生):300円

東金堂

大人:300円

学生:200円

小人:100円

興福寺国宝館・東金堂共通券

大人:900円

学生:700円

小人:350円

中金堂

大人:500円

中高生:300円

小学生:100円

※中金堂の拝観は現在休止中。コチラの公式ページにて最新情報が更新されています。

アクセス

近鉄奈良駅東改札から徒歩7分

JR奈良駅から徒歩18分

奈良交通市内循環系統バス 県庁前 下車からすぐ

駐車場は普通車46台ぶん(料金:1000円)

興福寺 公式ホームページ

  

興福寺に実際に行ってみた!

ではここからは、興福寺に実際に行ってみた様子をご紹介していきます!

興福寺の見どころ_東金堂と五重塔
さっそく、東金堂五重塔です!
興福寺の見どころ_東金堂
東金堂はこちら
興福寺の見どころ_東金堂と五重塔と境内
修学旅行生でしょうか…!
当時はお寺の凄さなんてぜんぜんわからなかったなぁ〜笑
興福寺の見どころ_五重塔
五重塔です!冷静に考えると、こういうのを数千年前に建てたと思うとすごいですよね、人間って。
興福寺の見どころ_中金堂
中金堂が見えてきました!
興福寺の見どころ_中金堂
中金堂です!2018年に改修されたので、創建当時の雰囲気を一番味わえる場所ですね!
興福寺の見どころ_南円堂
南円堂です!
興福寺の見どころ_南円堂
中金堂や東金堂、五重塔と比べると派手さはないですが、雰囲気は一番好きでしたね〜!
興福寺の見どころ_中金堂
朱色の雰囲気が印象的です。中国風な印象も感じますよね!
興福寺の見どころ_境内と奈良公園の紅葉
興福寺は、寺としての敷地がわかりにくいのも特徴。
奈良公園の一部のようになっているので、ちょっと変な感覚にもなります。
興福寺の見どころ_三重塔
こちらは三重塔です!
興福寺の見どころ_三重塔
ぶっちゃけ最初見たときは、五重塔のレプリカかと思いましたが、、
実はこの三重塔が、現存するものの中では興福寺の中で最古の建築物になりますよ!
興福寺の見どころ_南円堂
興福寺の見どころ_東金堂と五重塔と境内
最後にもう一度、ぐるっと境内を歩きます。
興福寺の見どころ_中金堂
中金堂が見えてきました!

  

興福寺 まとめ

興福寺の旅行情報まとめ_中金堂

ということで、今回は奈良の観光名所「興福寺」の歴史や見どころについてご紹介してきました!

成り立ちには中臣鎌足が関わっており、中世・近世までは日本有数の力もった寺院であった興福寺が、今では奈良公園の一部となってしまっているという歴史は、なんとも悲しくも少しおもしろいと感じてしまう部分でもありますよね。

こういった背景知識や歴史を知ると、やはり実際にその地にいった際の楽しみ方が変わるのは間違いないです!

ぜひこの記事で興福寺のことを知ったあなたも、興福寺を訪れてみてください!

もちろん、今までこういった歴史を知らなかったあなたももう一度足を運んでみてください!きっと、今までとは見え方が変わっているはずですよ…!!

  

👆興福寺へ行くなら、春日大社も見逃すな!