みなさんこんにちは、旅狼かいとです!

今回のブログ記事では、城崎温泉」の観光案内をお届けしていきます!

城崎温泉といえば、

兵庫のみならず関西圏を代表する温泉街ですよね!!

意外と知らない人も多い城崎温泉ですが、、

「疲れた体を休めたいなぁ…」
「いつも頑張っている自分にご褒美を…」

なんて人にはピッタリですし、

「日頃の感謝をあの人へ…!」
「特別なお祝いを兼ねた温泉旅行がしたい!」

といったことまでも叶えてくれる温泉地なのです!

週末・3連休のちょっとした小旅行にはもちろん、長期休みや大型連休、年末年始の温泉宿泊を考えている方へ、、

名物の外湯めぐりについてや観光地としての見どころなど、有意義な旅行情報をご紹介していきます!!

  

〜〜〜以下、Reゾバ記事としての導入です〜〜〜

と、今回はほとんど”リゾートバイト中感”がない記事になっていきますが、
前回のReゾバ記事での宣言通り、現在の派遣リゾバの勤務地である城崎温泉について改めてご紹介していきます!

働いて住んでいるとだんだん愛着を感じるようになるものだなぁ、としみじみ感じている今日この頃です。

前回のリゾバ記事はこちら!

  

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城崎温泉の名物・7つの外湯めぐり

早速ご紹介するのが、城崎温泉名物の「外湯めぐりについてです!!

城崎温泉では”浴衣に下駄履き”という姿が正装とされており、城崎温泉の旅館のほとんどで温泉街へと出歩くための浴衣が用意されているほどなのです。

そんな温泉地ならではの正装をまとい、温泉街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)に沿って立つ7つの外湯をめぐることを「外湯めぐり」と呼び、ここ城崎の名物とされているのです!

7つすべて巡ると、、みたいな話は特に聞いたことがないのですが(笑)、

毎日それぞれの湯で、男女一名ずつ一番風呂に入った人に「一番札」を渡すという風習は存在していますよ!

それでは、外湯めぐりの7つの湯をそれぞれご紹介していきます!

さとの湯(駅舎温泉、ふれあいの湯)

城崎温泉郷の玄関口である城崎温泉駅と繋がる形で立つのが「さとの湯になります。

歴史ある城崎の風情に”現代性”を加えた湯として建てられ、洋風の温泉と和風の温泉が男女日替わりとなるのが特徴です。

上階の露天風呂からは、日本海へと流れ出る円山川や正面の山々を眺めることができるほか、洋風温泉ではドライサウナやハマームレストが、和風温泉では蒸し風呂や0~5℃ペンギンサウナなど、豊富なサウナや入浴方法を楽しむことができるのもポイントです!

営業時間

13:00~21:00

定休日

毎週月曜日

料金

大人800円、小人400円 (小人:3歳~小学生)

 

一の湯(合格祈願・交通安全、開運招福の湯)

一の湯は、江戸時代中期の漢方医・香川修徳によって日ノ本一とされた名湯で、江戸時代に城崎温泉が「海内第一泉」と呼ばれるきっかけとなった温泉になります。

温泉街の中央に建つ桃山様式の歌舞伎座を思わせる建物は、名実共に城崎温泉の象徴といえる場所となっています!

現在では、露天風呂が洞窟の中にある「洞窟の湯」としても人気を集めていますよ!

営業時間

7:00~23:00

定休日

毎週水曜日

料金

大人700円、 小人350円(小人は3歳~小学生)

その他

家族浴場あり(3名まで45分で3,150円、1名増すごとに+700円)

  

御所の湯(火伏防災・良縁成就、 美人の湯)

御所の湯は、南北朝時代の歴史物語『増鏡』に記された、1267年(文永4年)に後堀河天皇の姉・安嘉門院(あんかもんいん)が入湯したという出来事に由来する湯になります。

実は江戸時代には、現在の7つの外湯に加え「殿の湯」(「鍵の湯」とも)と呼ばれた湯があったのですが、明治時代に御所の湯に吸収されたという歴史を持ちます。

その名の通り小さな御所のような温泉は、観光客はもちろん地元住民からも非常に人気の外湯となっていますよ!

営業時間

7:00~23:00

定休日

第一・第三木曜日

料金

大人700円、小人350円(小人は3歳~小学生)

その他

2021年2月25日現在、御所の湯は施設破損ならびにその修復のために閉鎖されています。

再開の時期は現在も未定となっているため、訪問の際は公式サイトのお知らせをご確認ください。

※「御所の湯」休湯期間中は、「さとの湯」と「まんだら湯」の営業時間が「7:00~23:00」となります。

 

まんだら湯(商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯)

717年(養老元年)、僧侶道智の曼荼羅を用いた千日間もの祈祷によって湧き出た湯がまんだら湯です。

そして、このまんだら湯が”城崎温泉の始まりの地”とされる説があるのです!

そもそも「まんだら(曼荼羅)」というのは、仏教の、とりわけ密教において、主尊を中心に諸仏諸尊が集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像のことで、、

つまりはわかりやすく言うと、「密教の思想を絵柄で表現したもの」になります。

このように密教と関わり深いまんだら湯、道智の曼荼羅祈祷ののちも逸話が残っています。

道智の曼荼羅祈祷からおよそ800年を経た頃、一時的に沸きあがって熱湯となったまんだら湯。

そんな温泉を、僧・日真が曼荼羅を描き泉底に沈めて祈祷した結果、なんと数日にして適温に戻ったというのです…!

その名の通りなにかと曼荼羅とのつながりのある信仰深い温泉は、今日では気泡風呂が楽しめる内湯と陶器風呂が並ぶ露天風呂がウリの温泉となっていますよ!

営業時間

15:00~23:00

定休日

毎週水曜日

料金

大人700円、 小人350円 (小人は3歳~小学生)

 

地蔵湯(家内安全・水子供養、衆生救いの湯)

地蔵湯は、江戸時代には村人から「里人の外湯」として親しまれた温泉になります。

この湯の泉源から地蔵尊が出たことから「地蔵湯」の名が付き、それ以来、温泉の敷地内に地蔵尊を祀っていることでも有名です。

入り口部分は和風の灯篭と玄武洞をイメージしていながら、7つの外湯の中では一番モダンな建物となっているというこの”不思議な”外観も、地蔵湯の見どころですね!

営業時間

7:00~23:00

定休日

毎週金曜日

料金

大人700円、 小人350円 (小人は3歳~小学生)

その他

家族浴場あり(3名まで45分で3,150円、1名増すごとに+700円)

 

柳湯(子授安産、子授けの湯)

柳湯は、「西湖(中国の景勝地)から移植してきた柳の木の下から湯が湧き出た」という逸話からその名がついた温泉です。

大正から昭和初期の建物を再現していることに加え、檜造りの木枠の温泉は7つの外湯の中では一番の湯温となっており、古き良き外湯・湯治場という印象の温泉となっています!

営業時間

15:00~23:00

定休日

毎週木曜日

料金

大人700円、 小人350円 (小人は3歳~小学生)

 

鴻の湯(夫婦円満・不老長寿、幸せを招く湯)

鴻の湯(こうのゆ)は、「舒明天皇の時代にコウノトリが足の傷を癒していたことから城崎温泉が発見された」という、まんだら湯とは別の伝説がもとで名付けられた温泉になります。

城崎温泉の発祥は「鴻の湯」なのか「まんだら湯」なのかは、「コウノトリの伝説」か「道智の曼荼羅祈祷伝説」のどちらを信じるのかによりますが、、

ともあれ、この鴻の湯が城崎温泉の外湯の中では最古の湯とされています!

温泉街の街路から少し離れた閑静な場所に佇んでおり、裏山と一体となった庭園露天岩風呂が鴻の湯の魅力といわれていますよ!

リゾートバイト先の社員さん曰く、天気の良い日は露天風呂から眺める星がとても綺麗だそう…!

営業時間

AM7:00~PM11:00

定休日

毎週火曜日

料金

大人700円、 小人350円 (小人は3歳~小学生)

   

一日入浴券

城崎温泉には、一日限定で7つの外湯が入り放題となる一日入浴券「ゆめぱがあります。

城崎温泉街の旅館に宿泊した場合は、そのほとんどで外湯券をもらえるので購入は不要ですが、

日帰りで城崎温泉の外湯巡りを考えている方は、2つ以上の外湯を巡る場合はお得になりますよ!

料金

大人:1300円

子ども(3歳~小学生):650円

購入場所

各外湯の窓口(入浴券購入場所)

  

城崎温泉へのアクセス

電車の場合

大阪方面より

JR大阪駅 から 特急こうのとり で約2時間40分

神戸方面より

JR三ノ宮駅 から 特急はまかぜ で約2時間30分

京都方面より

JR京都駅 から 特急きのさき で約2時間20分

飛行機の場合

大阪伊丹空港 から コウノトリ但馬空港 まで約35分

コウノトリ但馬空港 から 城崎温泉まで約40分

バスの場合

大阪方面より

大阪梅田より約3時間10分

神戸方向より

神戸三宮より約3時間10分

京都方向より

京都駅烏丸口より約3時間40分

東京方向より

東京駅より夜行バスで約12時間40分

車の場合

近畿豊岡自動車道や京都縦貫道を経由する経路が一般的

城崎温泉のオススメ旅館7選はこちらから!

   

城崎温泉の歴史

ではお次に、城崎温泉そのものについてお話ししていきます!

有馬温泉や湯村温泉とともに兵庫県を代表する温泉である城崎温泉

城崎温泉の名物は、正装である浴衣に下駄履という姿で7つの外湯をめぐる「外湯めぐりですね!

そして、城崎温泉の歴史は平安時代以前から続いているとされており、城崎の温泉街としての始まりだと伝えられている伝説は、なんと2つ存在するのです。

まず一つが、舒明天皇の時代(600年代前半)に、コウノトリが湧き出る湯で傷を癒していたことにより温泉が発見されたという伝説です。

この伝説になぞらえて、温泉街ではコウノトリを描いた模様やお店の名前などを目にすることができます。

もう一つは、奈良時代初期の717年(養老元年)、現在の城崎の地を訪れ僧侶・道智が千日間の修行を行った末に湯が湧き出したという伝説です。

この時の温泉が後述の「まんだら湯」とされており、道智はのちに、温泉郷のはずれにある温泉寺の開山となっています。

城崎温泉が注目されるようになったのは江戸時代に入ってから。

江戸時代中期の古方派の漢方医・香川修徳(香川修庵)が泉質を絶賛し、もともと「新湯(あらゆ)」と呼ばれていた現在の「一の湯」を、「海内一(=日本一)」の意味を込めて「一の湯」に改名し、温泉郷そのものを「海内第一泉(かいだいだいいちせん)」と呼びました

また、江戸時代の温泉番付において城崎温泉(海内第一泉)は”西の関脇”に定められており(最高位は大関で、西の大関は有馬温泉)、各地から名産を取り寄せた食事処や遊技場のほか、楽器やすごろくなどの娯楽のみならず槍や刀といった武器まで貸していた貸し物屋までもが軒を連ね、近郊から訪れた藩主や藩士をもてなしていたそうです。

幕末には、桂小五郎(木戸孝允)が新撰組に追われて城崎温泉に逃げ込んでいた時期があったそうですよ!

明治時代に入って勃発した日露戦争の際は、城崎温泉に傷病兵のための寮養所が設置されました。(のちの第二次世界大戦中は、温泉街そのものが軍事病院となっていました。)

その後も文人墨客に愛され、城崎温泉での湯治の様子を綴った『城の崎にて』を書いた志賀直哉や、『カインの末裔』や『或る女』に代表される有島武郎をはじめとする多数の文豪が訪れています。

現在の街並みの多くは、1925年(大正14年)に起きた北但馬地震の復興によって建てられた建物かその時代の建物に由来するもので、和風の木造3階建てとなっています。

この北但馬地震の復興は、城崎温泉における大きな転換期となりました。

というのも、それまで城崎温泉の旅館には内湯がなかったのですが、震災復興の際に掘り当てた泉源を利用して三木屋旅館が城崎で初の内湯を旅館内に設置したのです。

これが温泉地の伝統を壊すものとして裁判沙汰となり、20年以上も続く「内湯問題」に発展してしまうこととなります。

結局1950年(昭和25年)に和解が成立し、内湯の設置は認められましたがその規模は制限され、大浴場を希望する客は従来通り外湯に通うこととされました。

この決定は今でも守られており、今日の城崎温泉に建つ旅館のほとんどは、内湯を有してはいますが規模はそれほど大きくなく、代わりに旅館宿泊者は全外湯の入浴料を免除されています。

   

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