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伏見稲荷大社の歴史

創建・「イナリ」の名について

伏見稲荷大社_千本鳥居のスタート地点

まず、伏見稲荷大社の名称である「稲荷(イナリ)」という名の由来をみていきましょう!

「イナリ」の名については、『山城国風土記』にある秦伊侶具(はたのいろぐ)のお話が有名です。

秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき(稲(いね)なり生(お)ひき)。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑて蘇きば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず。

(大意)秦中家忌寸などの遠い祖先の秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。そこで餅を使って弓の的としたところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、山(稲荷山のことだとされる)に降りて稲が成ったのでこれを社名とした。その後子孫は先の過ちを悔いて社の木を抜き、家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。

― 逸文『山城国風土記』

また社伝では、秦氏が和銅年間に稲荷社の社家となったことや、当時全国的な天候不順で作物の不順が続いていたため、
「勅使を名山大川に派遣して祈請し、さらには山背国の稲荷山に大神を祀ると、五穀が稔って国が富んだ」
とも伝えられています。

この「稲荷山に大神を祀ると」の部分が、
「和銅4年(711年)2月の初午(はつうま)の日に、稲荷大社の祭神である稲荷大神が稲荷山に降臨したことを意味する」
と伝えられていることから、和銅4年2月壬午を記念日として「初午大祭」を行うようになり、それと時を同じくして「稲荷祭」も興ったとされています。

そして、上述の『山城国風土記』に見られるように、「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」の字が当てられていました。

しかし、淳和天皇の天長4年(827年)正月辛巳の詔で「稲荷」の表記が使われて以来、公式の記述でも「稲荷」表記が定着していったと考えられています。

もっとも、これ以前から「稲荷」の表記はなされていたことを示す史料も見つかってるので、今ではより以前から「稲荷」の表記が用いられていたと考えられています。

「稲荷」という文字の由来は、その字の通り「稲がなり、その稲を荷っている」ところからというのが、一番オーソドックスな説ですね!

やはり、主祭神の稲荷神宇迦之御魂(うかのみたま))の最初の権能である「穀物の神」という信仰があっての名前ということなのでしょう。

     

平安時代~伏見稲荷大社の隆盛~

伏見稲荷大社_一の鳥居と楼門

天長4年(827年)、淳和天皇が病に倒れた理由が「東寺の塔を建てるために稲荷山の樹を伐ったことの祟り」であることが占いによって明らかとなり、それまで秦氏の私社であった稲荷大神に初めて従五位下の神階が下賜されました。
(稲荷山が信仰の上で重要であると判断されたのでしょう!)

これを契機に、京の人々からは神社の立地から「巽(たつみ)の福神(東南方向の福の神)」としての崇敬を集めるようになりました。

このとき、現在の東寺(教王護国寺)との関係や、東寺を真言密教の根本道場として栄えさせた空海(弘法大師)との関係が結ばれたのではないかと言われています。
(東寺には、稲荷大社・稲荷大神について記された『稲荷大明神縁起』があるのです!)

その後、延喜8年(908年)に藤原時平の寄進により社殿が造営され、天慶5年(942年)には神階の最高位である正一位が授けられました。

当時の神社の最高位である伊勢神宮は天皇以外の参拝が禁止されていたことや、京都(平安京)中心部から近いという立地、さらに当時の京中の約3分の1にあたる地域が稲荷大社の産土地とされていたことなども後押しし、次第に平安でも随一の参詣者を集めるようになっていきます

その様子は、平安末期の説話集『今昔物語』や清少納言の『枕草子』、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)の『蜻蛉日記』といった平安時代を代表する文学作品にも記されており、
特に、遠方から初午に稲荷詣(初午詣)をする女性の様子が多く描かれているのが特徴です。

参詣者が増えていったことで、稲荷大社を代表する祭りである稲荷祭も規模も増していき、賀茂神社の葵祭(賀茂祭)や八坂の祇園祭とならぶ人気を博したといいます。

   

鎌倉時代~神仏習合と狐の眷属~

伏見稲荷大社_お山登り

鎌倉時代に入ると、全国的に進んだ神仏習合の流れを稲荷大社も受けることとなり、神社の祭神にも「本地仏」が解釈されるようになります。

本地仏:本地垂迹(ほんじすいじゃく)ともいい、日本の八百万のは、実は様々な仏や菩薩、天部などが化身として日本の地に現れた権現であるとする考えのこと。

またこの時期、それまで宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・「佐田彦大神(さたひこのおおかみ)」・「大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)」の三柱だった伏見稲荷神社の祭神に、
四大神(四之大神)(しのおおかみ)」と「田中大神(たなかのおおかみ)」が加わり、伏見稲荷大社の祭神が現在の五柱となります。

『稲荷大明神流記』には、

 ・一、大明神。本地十一面。(上御前是也)
 ・二、中御前。本地千手。(大明神之当御前也)
 ・三、大多羅之女。本地如意輪。(下御前是也。大明神之前御前也)
 ・四、四大神。本地毘沙門。(中御前御子。即同宿中御前)
 ・五、田中。本地不動。(先腹大多羅之女郎子也)

と記されているのですが、四大神と田中大神がどのような経緯によって祭神に加えられたのかはいまだに詳しいことが明らかとなっていません。

特に、四大神についてはどんな神なのかさえわかっていないという、まったくもって謎な神となっています。笑

そして、この神仏習合が進んだ時期に、稲荷大社の“シンボル”ともいえる「眷属の狐」についての伝承も現れています。

伏見稲荷大社_お稲荷様

そもそもみなさんの中には、、

伏見稲荷大社をはじめとする稲荷大社における”神様”が狐(白狐)である

と考えている方がいるかもしれませんが、それは誤りです!

稲荷大社における狐は、稲荷大神の「眷属」という立場にあります。

「眷属」というのは「神の一族」のような位置づけであり、他の神社で多くみられる「神の使い」ではないことが特徴です。

そんな稲荷大社の眷属に狐が選ばれるに至った由来には、いくつかの説があります。

一番有名なものは、
稲荷の神が「食物の神 = 御饌神(みけつかみ)」であり、その「みけつ」という言葉がいつの間に「御狐(おけつね)」や「三狐(みけつね)」に転じたことから
という説です。

二つ目は、
鎌倉時代に起きた神仏習合の際に、稲荷神が密教の荼枳尼天(だきにてん)と同一視されたから(厳密には「本迹(ほんじゃく)関係を結んだ」から)
という説です。

本来の荼枳尼(ヒンドゥー教におけるダーキニー)は、屍肉を喰らう女鬼・魔女や、半裸で血器や短刀と屍肉を手にする姿などで描かれているのですが、『九尾の狐』や『玉藻前』といった中国から派生したとされる狐に関する寓話と混ざることで、荼枳尼は次第に白狐にまたがる天女と解釈されるようになり、名前も荼枳尼“と呼ばれるようになります。

そんな荼枳尼天と稲荷大社の祭神が習合したことで、天女がまたがる白狐がそのまま稲荷神の眷属とされたと考えられているのです!
(稲荷大神が女神である宇迦之御魂と同一視されていたことも影響していると思われますね!)

画像引用:Wikipedia荼枳尼天

三つ目が、『稲荷流記』に記されたちょっとしたお話から生まれた説です。

それがこちら。

時は平安初期の弘仁年間(810~24)のこと、平安京の北郊、船岡山の麓に、年老いた狐の夫婦が棲んでいました。全身に銀の針を並べ立てたような白狐だったのです。この狐夫婦は、心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていました。とはいえ、畜生の身であっては、所詮その願いを果たすことはできない。そこで、狐夫婦はある日意を決し、五匹の子狐をともなって、稲荷山に参拝し、「今日より当社の御眷属となりて神威をかり、この願いを果たさん」と、社前に祈りました。すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神のおごそかな託宣がくだりました。
「そなたたちの願いを聞き許す。されば、今より長く当社の仕者となりて、参詣の人、信仰の輩を扶け憐むべし」こうして、狐夫婦は稲荷山に移り棲み稲荷神の慈悲と付託にこたえるべく日夜精進につとめることになりました。男狐はオススキ・女狐はアコマチという名を明神から授けられたとのことです。

伏見稲荷大社公式ホームページより

一言でいうと
人々のためになりたいと願っていた美しい白狐の夫婦が、稲荷神によってその願いを叶えられ、眷属となった
という説になります。

どの説も言われてみれば「なるほど~」と唸ってしまうものばかりですが、、

個人的には、物語調になっている2つ目と3つ目を推したいところですね!

なんだかロマン、ありません??笑

    

応仁の乱~伏見稲荷も戦火の渦に~

伏見稲荷大社_お山巡り

伏見稲荷大社の産土地域である下京一帯は、時代を追うごとに商業地域として京の経済流通の中心的役割を担うようになっていました。

その豊かな経済力をもとに稲荷祭に参加する鉾や山もその数を増やし、意匠もより豪華に趣向をこらしたものが多く出てきていたようです。

祭りが華やかになれば当然集まる人も増えるわけで、年に一度の稲荷祭の時には、老若男女の雑踏で演者の声や音曲がかき消されるほどであった、とまで伝わっています。

まさに、
「経済がまわる」→「より大きく、豪華になる」→「人が集まる」→「参詣者・信仰者が増える」→「経済がまわる」→…
の好循環が生まれていたわけですね!

しかし、日本史上の転換点ともいわれる応仁・文明の乱が起こると、伏見稲荷もまた状況が一変します。

当時の日本の中心地であった京都はこの内戦で壊滅的な被害を受けたのですが、当然、伏見稲荷大社も例外ではありませんでした。

応仁の乱が勃発した際、伏見稲荷に陣を置いたのは東軍・細川勝元側の足軽大将骨皮道賢でした。

稲荷山は、伏見や木幡、淀や鳥羽など、京都の南側地域を見下ろすには絶好の場所であったことから、骨皮道賢は稲荷山に陣取り、西軍・山名軍の糧道を絶ち、さらにはゲリラ戦を展開していました。

そんな戦局の中にあった応仁2年(1468年)3月、西軍は稲荷山に畠山義就の軍をさし向けます。

すると道賢軍はあっけなく攻め込まれ、陣形は崩壊。

骨皮道賢は逃走を試みますが、敗走中に討ち取られます。

結果、伏見稲荷に陣取っていた東軍は大敗という憂き目にあうこととなり、この合戦の際に、伏見稲荷大社は山中に建てられていた建物を含めすべてが焼き尽くされてしまいます。

このときの炎は、朝から昼過ぎにかけて燃え続けたと伝えられており、当時の戦火がいかに凄まじかったかを想像することができます。。

   

戦国時代から江戸時代~応仁の乱からの復興~

伏見稲荷大社_楼門

応仁の乱によって境内が焼き払われてしまった伏見稲荷大社。

終戦後は稲荷祭を行うことさえままならない状況だったそうですが、稲荷山での稲荷神への参詣や荼吉尼天への信仰は廃ることはなく、寄進を募ることで社殿の再建を進めていきました

寄進の中でも有名なのは、豊臣秀吉からのものでしょう。

伏見稲荷大社に近いところに伏見城を築城した秀吉、実はかねてから伏見稲荷大社を信仰していたと伝えられているのです。

さらに、天正16年(1588年)に母の大政所(おおまんどころ)の平癒を伏見稲荷に祈願したところこれが成就したことから、その信仰心はより深まったといいます。

こうした信仰心から秀吉は稲荷大社へ大規模な寄進を行い、伏見稲荷大社の社殿造築はさらに進んでいきました。
現在の楼門は秀吉の寄進によって建てられたものなのですよ!

江戸時代に入ると、幕府が積極的に商業の保護に努めたことで商いが盛んになります。

稲荷社は「農業・商工業の神」を祀る神社であり、、

つまり稲荷社は、町人や商人から数多の信仰を集めるようになります

この頃から、
願い事が”通るように”、あるいは願い事が”通った”ことへのお礼を込めて、朱い鳥居を奉納する習慣が広まった
とされています。

今では境内全体に1万基もの鳥居が並んでいると言われる「千本鳥居」の文化は、町人・商人の文化が花開いた江戸時代に始まったものなのです!

   

明治から現在にかけて〜日本が誇る観光名所へ〜

伏見稲荷大社_夜の一の鳥居と楼門

慶応4年(明治元年、1868年)の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、伏見稲荷大社の本殿内の仏像類は廃され、明治政府によって境内地も4分の1に減らされます。

第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)には近代社格制度の廃止に伴い宗教法人化し、神社本庁からは独立した単立宗教法人となっています。

この際、社名が現在の伏見稲荷大社と改称されました。

近年では、朱い鳥居が並ぶという”the 日本的”な風景に加え、「お山めぐり」という欧米人が好む傾向にあるウォーキングを拝観料無料・時間自由で楽しめることから、外国からの観光客が特に増えています

これは、2019年まで6年連続でトリップアドバイザーの「外国人に人気の日本の観光スポット」で一位となっていることからもわかりますね!

   

伏見稲荷大社を歩く

ではでは、実際に伏見稲荷大社の様子とともに、さらに詳しく境内の様子を見ていきましょう!

伏見稲荷大社の“顔”!稲荷山山麓

まずは、伏見稲荷大社の稲荷山山麓部分から見ていきましょう!

参道・楼門・本殿

まずは、京阪本線の伏見稲荷駅から向かう場合です!

伏見稲荷大社_参道
裏参道と呼ばれる道ですね!
伏見稲荷大社_参道
表参道と違い、駅から境内までにお土産屋や甘味処、屋台が並んでいるのが特徴ですね!

もう一つのアクセスである、JR奈良線の稲荷駅からはこんな感じです!

伏見稲荷大社_参道
こちらが表参道!
伏見稲荷大社_一の鳥居と楼門
表参道の一番鳥居から、二の鳥居、楼門、舞殿(外拝殿)、内拝殿、本殿が一直線に並ぶのが特徴です。
伏見稲荷大社_一の鳥居と楼門
伏見稲荷大社_楼門
楼門。豊臣秀吉とも縁がある建物になります!
伏見稲荷大社_楼門
伏見稲荷大社_舞殿
楼門をくぐると見えるのが、舞殿です。
拝殿・本殿です!
伏見稲荷大社_お稲荷様
境内の至るところにいる狐。
実はくわえているものが異なり、それぞれに意味があるのです!
この狐がくわえている稲穂は「五穀豊穣」を、玉と鍵は玉鍵信仰から「万物の創世の理」を、巻物は「知恵」を表現しているとされています。
伏見稲荷大社_お稲荷様
伏見稲荷大社_お稲荷様
伏見稲荷大社_お稲荷様
こちらの狐は巻物、つまり「知恵」の象徴ですね!
伏見稲荷大社_ネコ
こちらは本物の猫です。笑
伏見稲荷大社_ネコ
こんなに堂々と。。慣れてるなぁ。笑
伏見稲荷大社_千本鳥居
いよいよ千本鳥居です!

千本鳥居

伏見稲荷大社の名物、千本鳥居にやってきました!

伏見稲荷大社_千本鳥居
最初は大きな鳥居が出迎えてくれます。
伏見稲荷大社_千本鳥居
本殿裏から奥の院へと繋がる道となっています!
伏見稲荷大社_千本鳥居
ここからが千本鳥居です!
伏見稲荷大社_千本鳥居
とにかく人が多くて、、いたるところで写真撮影が行われています!
伏見稲荷大社_千本鳥居

はい。

実はこの日はあまりに人が多かったので、ここでの写真撮影はほとんどしませんでした。笑

というわけで、千本鳥居の詳しい様子を知りたい方はこちらからページ下へ飛んでください!!

奥の院

こちらが、「奥社奉拝所」とも呼ばれる伏見稲荷の奥の院です!

伏見稲荷大社_奥の院
ここまでは、人の多さは仕方なし。
伏見稲荷大社_奥の院
置くタイプの鳥居、らしい。
伏見稲荷大社_奥の院
こちらが「おもかる石」です!
持った石が軽ければ願いが叶うということで、、あなたの願いはどうでしょうか…?!

奥の院から先の順路は、再び鳥居の中を進みます。

というか、「伏見稲荷の順路=鳥居の中」ですね!笑

伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
鳥居を裏から見ると、誰がいつ奉納したかが刻まれています。
こっちから見ると全然違った雰囲気で面白かったですよ!
伏見稲荷大社_千本鳥居
鳥居は20年ほどで建て替えられるそうで、、
確かに、言われてみればどの鳥居も綺麗でしたね!
伏見稲荷大社_千本鳥居

パワースポットとご利益の宝庫!稲荷山とお山めぐり

ここから、稲荷山を登る「お山めぐり」をしていきます!

意外と日本人よりも外国人の観光客の方々が多かった印象です。

もちろん服装も、、足元は必ずスニーカーでね!!

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
お山めぐりの間も、ひたすらに鳥居の中をくぐっていきます。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
なんだか”真の”入り口ってかんじ…!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
だんだんと山の中へと進んでいきます!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
本当に異世界に迷い込んだみたいですよね!
伏見稲荷大社_お山めぐりとお社
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
ここの名前はわからなかったのですが、ちょっと異質な雰囲気ですよね。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

熊鷹社とヶ池

伏見稲荷大社_熊鷹社と谺ヶ池

ここが「熊鷹社」と、その背後に広がる「ヶ池(こだまがいけ)(新池)」になります。

熊鷹社と谺ヶ池
ここで人が行方不明に、、
なんだろう、神隠し的なことを想像してしまうなぁ。。笑
熊鷹社と谺ヶ池
池の周りには塚がたくさん立っています。
熊鷹社と谺ヶ池
玉をくわえていますね。
熊鷹社と谺ヶ池
こちらは巻物。
熊鷹社と谺ヶ池
大きな鳥居の先に小さな鳥居がたくさん。後ろの緑も映えますね〜
熊鷹社と谺ヶ池
石碑です。
熊鷹社と谺ヶ池
竹にいろいろ刻まれています。笑
外人さんがすることっぽいなぁ。。
熊鷹社と谺ヶ池
順路とは逆へ進むと森の中へ入れましたが、、
特に何もありませんでした。笑笑
熊鷹社と谺ヶ池
お塚が並んでいる様子。
熊鷹社と谺ヶ池
谺ヶ池・熊鷹社までで、だいたい稲荷山の3分の1くらいです!
まだまだここからですね!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
このへんからだんだん人が、特に日本人が減った印象です。笑
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
ちょっとおしゃれっぽく。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
お社と鳥居。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
ひたすら歩きます。。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
七神蹟地ではありませんが、神蹟地の一つと思われる場所です!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
外が見えた!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
四ツ辻まではもう少しかな…!

四ツ辻

伏見稲荷大社_四ツ辻

四ツ辻に到着しました!

山の中腹に位置する休憩所のような場所で簡単な食事処もありますが、山頂の一ノ峰へはやっと半分きたかどうかというところ。笑

一息ついて、もうひと頑張り!!

伏見稲荷大社_四ツ辻
ここまででも感じていましたが、お山めぐりをしているのは外人さんの割合が高かったですね!
伏見稲荷大社_四ツ辻
ぶっちゃけ風景は見にくいです。笑

ちなみに、、

ここまで何度か書いている「お塚」というのは、「個人が石・岩に神名を刻んだもの」のこと。

お塚を稲荷山中の神蹟地周辺に、朱塗りの小さな鳥居や白狐像などとともに奉納する信仰があるのです。

この風習は明治時代以降に盛んになったとされており、お塚の神名は、個人が稲荷神に寄せる信仰に基づき名付けられているといわれています。

つまり、「個人が発端となった信仰が今では多くの人の信仰も集めている」ということなのでしょう!

まさに、“人によって“生まれ、継承されてきた信仰、ということですね!

伏見稲荷大社_四ツ辻
ではでは、お山めぐりの続きといきましょう!

いざ、四ツ辻の先へ!

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
奥に引き込まれるような不思議な雰囲気。。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
にしてもこの鳥居は、考えれば考えるほど本当にすごいですよね…!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
お塚が見えてきました!

七神蹟地の一つ、白菊大神を祀っている「三ノ峰(下之社神蹟)」です。

伏見稲荷大社_お山めぐりと三ノ峰
やはり神蹟地は独特な雰囲気です。
伏見稲荷大社_お山めぐりと三ノ峰
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
ここの鳥居は迫力があったなぁ。。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
振り返るとこの雰囲気。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
再びおしゃれに。。おしゃれ、だよねコレ?笑
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

頂上!一ノ峰

伏見稲荷大社_お山めぐりと一ノ峰

青木大神を祀った二ノ峰(中之社神蹟)を経由し、ついに稲荷山の頂上にあたる「一ノ峰(上之社神蹟)」に到着しました!

伏見稲荷大社_お山めぐりと一ノ峰
パワーを感じることができればよし、何も感じなければ、、それはそれでよし!笑
伏見稲荷大社_お山めぐりと一ノ峰
頂上なだけあって、お塚は他よりも広かった印象です。

以上。

正直「え、ここが頂上?」ってなります、てかなりました。笑

ともあれ、、稲荷山の”核心部”まで辿り着いたことは事実。

願いが“末広に”叶い続けるように、お祈りだけはさせていただきましょう!!

ということで、ここからは基本的には下り道となっていきます!

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
鳥居の向きはすべて、「頂上に向かう者に対して正面になるように」立っていますので、帰りは文字が書かれている方が見えている状態になります。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
なんだか、、呪いのような呪術のような呪詛のようなまじないのような、、
そんなふうに見えてきますよね。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
たまに上を振り向いてみる。
物語の世界なら、、コレってあんまりよくないんじゃ…?笑
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
朱い鳥居の間にちょくちょく石造りの鳥居も立っており、そこからは狐も見守ってくれています。
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
といいつつ、適度に振り向いて撮影します。笑
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
次第に日が落ちてきて雰囲気も幻想的に…!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
なんだか不思議な世界に迷い込んだ気がする。。

御劔社(長者社神蹟)

伏見稲荷大社_お山めぐりと御劔社

帰りは行きとは違う参道を歩くので、もちろん途中にある神蹟地も変わってきます。

前ページでご紹介した見どころの神蹟地はこの帰り道で立ち寄りました!

その最初(つまりは一番山頂近く)が「御劔社(みつるぎしゃ)」です!

伏見稲荷大社_お山めぐりと御劔社
ちゃんと手水舎がありました!
伏見稲荷大社_お山めぐりと御劔社
伏見稲荷大社_お山めぐりと御劔社
お塚は広め。
この暗さがいいかんじの雰囲気を醸し出していましたね…!

だいぶ暗くなってきましたね…!

うんうん、この雰囲気悪くない!!

伏見稲荷大社_お山めぐりと参道
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

薬力社

伏見稲荷大社_お山めぐりと薬力社

薬力社」です!

「薬」に関わる御利益をはじめ、無病息災、薬効、薬害防止、安産、医学技術向上、健康長寿から、家内安全や薬関係の職業や薬局、製薬会社などの商売繁盛まで、「健康」や「薬」に関わるあらゆる権能を有しています!

伏見稲荷大社_お山めぐりと薬力社
結構暗めでした。。
伏見稲荷大社_お山めぐりと薬力社
こちらが健康長寿につながるという湧き水!
山の中で聞く水音、なんか心地よかったなぁ。。
伏見稲荷大社_お山めぐりと薬力社
ねがいかけ草鞋」を奉納することで、腰痛・身体健康・病気平癒・旅行安全を祈願するという慣わしも。
伏見稲荷大社_お山めぐりと薬力社
上から見る千本鳥居って、なかなか新鮮ですよね!
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
下からグッと見上げると、、この迫力!!

御膳谷奉拝所と力松社

伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社

ふと現れた、お社とお塚。

ここは「御膳谷」と呼ばれる、稲荷山の三つの峰の渓谷が集まっている場所で、神蹟地の一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を拝する聖地とされています。

毎年1月5日に「大山祭・山上の儀」が行われる場所になりますね!

伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社
御膳谷奉拝所の奥のお社祀っているのは「力松大神」です。
伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社
力松社の背後にはお塚郡が…!
伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社
伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社
この暗さも相まって、とっても厳かな雰囲気でした。
伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社
伏見稲荷大社_御膳谷奉拝所と力松社

眼力社

伏見稲荷大社_お山めぐりと眼力社

口から竹筒を伸ばして水を流す特徴的な狐が見えたら、「眼力社」の証です!

その名の通り「目の病」への効用はちろんのこと、「商売の目利き」や「先見の明」、さらには”がんりき”繋がりで「願力(入試、就職、結婚)」といったご利益もあるとされています!

狐が水を吐いているという珍しい光景は、白狐が眷属の“稲荷的“なものだと感じました。

これだけでもぜひ見てほしいです…!

伏見稲荷大社_お山めぐりと眼力社
眼力社前から、並ぶ千本鳥居。

大杉社

伏見稲荷大社_お山めぐりと大杉社

こちらは「大杉社」と呼ばれる祠になります。

小さな鳥居が列をなしている先に拝所があり、その背後に御簾に囲まれて注連縄を巻いた枯木が立っているのが目印です。

これが大杉社の由来となったご神木だとされています。

伏見稲荷大社_お山めぐりと大杉社
伏見稲荷大社_お山めぐりと大杉社

ということで、四ツ辻まで戻ってきました!

伏見稲荷大社_お山めぐりと四ツ辻
伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

大松社

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

瓢箪型のお塚が特徴的なのが、こちらの「大松社」です。

祀られている大松大神はお酒の神様として知られているだけでなく、良縁のご利益もあるみたいですよ!

「酒を酌み交わす仲は良縁の証」ということなのでしょうかね~!

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
こちらが瓢箪型の大岩!
行きも通ったはずなのですが、、完全にスルーしていました。笑

夜の伏見稲荷大社

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居

お山めぐりのご案内は以上になります!

ここからは「夜の伏見稲荷大社」をお楽しみください!!

伏見稲荷大社_お山めぐりと千本鳥居
山中は暗すぎてうまく撮れなくなってしまいました。。

山を降りてきました!

僕は2時間ちょっとのお山めぐりでしたが、結構早く歩いていたのでこの時間になったと思います。

やはり、最低でも2時間半〜3時間は見てお山めぐりはするべきですね!

夜の伏見稲荷大社_眠り猫
まだいたのか君。
夜の伏見稲荷大社
遠くから楼門。
夜の伏見稲荷大社
本殿も幻想的。
夜の伏見稲荷大社
楼門ですね!
夜の伏見稲荷大社
こちらは舞殿。
夜の伏見稲荷大社_楼門
楼門の正面にきました!
夜の伏見稲荷大社_楼門
夜の伏見稲荷大社_一の鳥居と楼門
夜に浮き上がる楼門と鳥居!
夜の伏見稲荷大社_一の鳥居と楼門
夜の雰囲気も最高です!!

    

~伏見稲荷大社gallery~

ここからは改めて、、

後日、早朝の人がいない時間帯で撮影した様子です!!
伏見稲荷大社_千本鳥居
この人の少なさ!
伏見稲荷大社_千本鳥居
現在7時30分をすぎたところです。
伏見稲荷大社_千本鳥居
やはり撮影は朝に限りますね〜!
伏見稲荷大社_千本鳥居
千本鳥居に到着です!
そうそう、右側通行、守りましょうね!!
伏見稲荷大社_千本鳥居
狐さまの皆さんもおはようございます。
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
ちなみに、この最初の千本鳥居が伏見稲荷では唯一、鳥居が横並びで立っている場所なのだそうです!
確かに、他の場所にはなかった気がするなぁ。。
伏見稲荷大社_千本鳥居
左の復路も撮影しておきます。
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
もちろん進むのは右の往路ですよ!
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
カメラの光の取り込み方によって雰囲気が随分と変わります。
伏見稲荷大社_千本鳥居
振り向くとこんな感じ。
文字側からの雰囲気も好きです。
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
これは提灯、それとも灯籠?
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
神主さん。
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
奥の院のところまで来ました!
伏見稲荷大社_奥の院
奥の院まできた証明。笑
伏見稲荷大社_千本鳥居
順路を進みます!
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
確かに、朝のウォーキングにぴったりかもしれない…!
伏見稲荷大社_千本鳥居
吸い込まれそうになる感覚。。
伏見稲荷大社_千本鳥居
振り向く。
伏見稲荷大社_千本鳥居
この並んでいるの、結構お気に入りです!笑
伏見稲荷大社_お稲荷様

からのもう一周!笑

今回は、最初の千本鳥居の左右を使って往復します!
(奥の院から先へはいかず、横並びの千本鳥居の左側(奥の院から見たら右側)を使って帰ってきます!)

伏見稲荷大社_千本鳥居
奥の院までは時間をすっ飛ばしますね!笑
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
そして、この復路を使っていて気づいたことが一つ。
奥の院に着いたら、ほとんどの人がそのまま順路を辿って先へ進むんです。
つまり、この復路は人が多い時間でも比較的人の少ない“穴場”になるのでは!ということなのです!!
伏見稲荷大社_千本鳥居
こうして振り向く分には、“逆走”にもなりませんからね!笑笑
伏見稲荷大社_千本鳥居
日中しか時間がない方は、
この“復路作戦”を使って写真を撮ると良いのではないでしょうか!!
伏見稲荷大社_千本鳥居
ということで、しばしギャラリータイムです!
伏見稲荷大社_千本鳥居
ここは縦写真が活きる空間。
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居
伏見稲荷大社_千本鳥居

ということで、千本鳥居での撮影を終えて本殿の方へ戻ってきました。

この時点で8時半です。

朝の伏見稲荷大社_拝殿・本殿
朝の伏見稲荷大社_舞殿
朝の伏見稲荷大社_楼門
舞殿前から一直線ですね!
朝の伏見稲荷大社_楼門
朝の伏見稲荷大社_楼門
朝の伏見稲荷大社_楼門と一の鳥居
素晴らしい朝をありがとうございました!!

    

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伏見稲荷大社のまとめ

伏見稲荷大社_スマホから覗く千本鳥居

ということで、今回は日本のみならず海外からも絶大な人気を誇る京都の観光地伏見稲荷大社をご紹介してきました!

もはや伏見稲荷の代名詞である「千本鳥居」はもちろんのこと、神秘的で幻想的、そして荘厳な雰囲気や稲荷山のパワースポット巡りを楽しめる「お山めぐり」など、実に多くの見どころがある伏見稲荷大社。

ぜひあなたも、朱く彩られた鳥居の下をゆく“異世界体験”を堪能してみてくださいね!!

もちろん、一般の人でも鳥居の奉納も可能ですよ!
伏見稲荷大社公式ホームページより)

    

     

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